コラム 2023.10.04

【ラグリパWest】支え人。山下弘晃 [和歌山県立和歌山工業高校/ラグビー部顧問]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】支え人。山下弘晃 [和歌山県立和歌山工業高校/ラグビー部顧問]
母校でもある和歌山工に34年在籍し、ラグビー部を監督や部長などで引っ張った山下弘晃さん。来春、教員を定年退職をする。今秋の全国大会和歌山県予選は花園に向けた最後の大会になる。自身が科長を務めていた産業デザイン科の教室にて



 山下弘晃は60になった。還暦を迎えたのは半年ほど前、4月25日のことである。

 来春、和歌山工を定年退職する。この県立校、愛称「ワコー」には、高校時代を含め教員として、34年の長きに渡って籍を置いた。退職と同時にラグビー部の顧問も外れることになる。

 山下にとって最後となる全国大会予選は今月21日に開幕する。103回目の大会だ。
「僕はあくまで、チームを先につないでゆく中継者のひとりですから」
 自分を押し出さない。浅黒い肌、短く刈り込んだ頭髪、下がる目じりは、ことに当たる時、ぐっと上がる。

 高校ラグビーの全国大会は開催地の花園ラグビー場から、「花園」と短縮される。ワコーの花園出場は24回。この和歌山県内では最多。2位の熊野の13回を引き離す。

 チームでの肩書は監督、部長などその時々で変わったが、山下は人生の半分以上をこの深紅のジャージーに捧げた。その創部は1947年(昭和22)。当時の校名は光風工だった。

 部ができて32年後、山下は機械科に入学する。
「F1や車に興味がありました」
 同時に競技を始めた。
「それまで陸上をしていましたが、何か新しいことをしたいな、と思いました」
 WTBを任される。

 2年時に初めて花園に出る。60回大会。同校にとって3回目の出場。結果は1回戦敗退だった。深川西(南北海道)に0−35。山下はリザーブだった。当時、交替出場のシステムはない。全国優勝は伏見工(現・京都工学院)。SOで主将は、1つ上の平尾誠二だった。

 1、3年時は隣県・奈良との代表決定戦に敗れる。代表名は「紀和」(きわ)。天理に勝てなかった。60回大会は記念大会だったため、県単独の出場枠が与えられた。これが常設枠に変わるのは4大会後である。

 山下は卒業後、豊橋技術科学大学に学ぶ。そして、教員として母校に戻る。思い出深いのは赴任3年目の1989年度のチーム。この代は花園大会の2回戦に進んだ。69回大会だった。山下は部長をつとめた。

「ディフェンスを中心にチームを作りました。1対1の生タックルを含め長い時は練習のほとんど、2時間ほど割いた記憶があります」

 初戦で北見北斗を9−8で破る。北見北斗は監督の阪中博昭の出身校でもあった。阪中の「恩返し」を助ける。

 2回戦は京都の花園に0−36。ただ、花園は優勝候補だった。当時、SOだった坂田輝之は話したことがある。
「戦前の予想は100点ゲームでした」
 山下の練習が効き、前半は0−14と期待を抱かせた。花園は4強戦で天理に4−4と引き分ける。優勝はその天理だった。

 坂田は今、和歌山市内にある「パン工房 アンファン」のオーナー職人である。20年近くに渡り、今でも売り物のパンを無償で後輩たちへ差し入れている。

 山下は母校で11年勤務した後、箕島に移る。過去、甲子園優勝4回を誇る学校には7年いた。そして、2005年、ワコーに三度(みたび)戻って来た。

 ワコーの花園最高は坂田の代も含め4回ある2回戦進出。69回大会の次は直近となる95回大会だった。
「26年ぶりに初戦突破ができました」
 魚津工に30−5。東海大仰星には0−93だった。この時、山下は監督をつとめた。

 この2回戦進出が県勢の花園最高である。大会出場は52回になる。
「元々、野球王国であって、最近はサッカーも伸びてきました。そのため、競技人口は薄く、指導者も少ないことが挙げられます」
 山下は成績が振るわない理由を語る。

 その歴史や現状にも関わらず、山下はできることを続けてきた。教え子の坂田の助力も含め補食の準備や支援学校の通学バスをもらい受け、遠征に使う。SNSでの発信など、チームをつなぐことに腐心してきた。

 校務では7つある科のひとつ、産業デザインの科長だった。注目が集まるのは県内にある仏像の複製化である。計測をする3Dのデジタイザーやモデリングソフト、プリンターなどを駆使し、仕上げる。素材は車のバンパーと同じABS樹脂を使う。

「本物は博物館に置いて、ウチで作ったレプリカを元にあった寺院に安置します」
 この複製化は盗難防止もあって、和歌山県立博物館と連携して始まった。
「学校外の人たちと関わることは、生徒も私も達成感が違ってきます」

 ワコーの学校創立は1914年(大正3)。今は男女共学であり、全日制と定時制を持つ。学校のある西浜は風光明媚な和歌浦(わかうら)に近い。青い海に緑の丘陵が迫る。

 教務では科長をつとめながら、山下は定年後の再任用で残ることを考えなかった。
「若い人に席を譲らないといけません」
 退職後は民間企業につとめる。全国を回り、高校生の採用を担当する予定だ。
「まだ身の振り方を決めていない、と話したら、ウチに来ないか、と誘ってもらえました」
 山下の人となりが伝わってくる。

 ラグビーにもその生きざまは現れる。
「マネジメントやお金はすべて監督や部長に投げました。チームに影響を持ち続けるのは嫌いです。定年後はひとりのOBとして、後輩たちの活躍を楽しませてもらいます」
 最後の花園予選はまもなく始まる。

 ワコーの初戦は来月4日。和歌山北と合同チームの勝者と戦う。次は決勝戦。2つ勝てば、5年ぶり25回の花園切符を手にする。

 ライバルの一番手は近大和歌山。2年連続で花園に出場している。ワコーは1月の県新人戦は10−22と敗れたが、6月の県春季大会は20−10と雪辱した。力は上がる。

 山下は言う。
「今の部員たちは花園を全く知りません。違う景色を見せて、世界観を変えてあげたい」
 あくまで、自身の最後より、子供たちのため。終わりに臨んでも、教員、そして、ラグビーが山下の中で息づいている。

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