「人を受け入れられるようになりました」。冨田真紀子[元日本代表]、仏・ポーで穏やかに暮らす
なぜそこに?
そんな海外ロケ番組に出てきても不思議ではない光景が、そこにあった。
フランス南西部、スペインとの国境に横たわるピレネー山脈をのぞむ街に、その人は暮らしている。
歩いていても、日本人とすれ違うことは滅多にない場所だ。
ポー(PAU)は、ピレネー=アトランティック県の県庁所在地。ツール・ド・フランスのコース地としても知られる。
オールブラックスのレジェンドLO、サム・ホワイトロックが、開催中のワールドカップ終了後に加入するトップ14クラブ(ポー)もある。
女子代表として何度もサクラのジャージーを着たことがある冨田真紀子は、彼の地に暮らして3年目を迎えている。
今回のワールドカップ中、日本代表がベースキャンプを張るトゥールーズから西へ電車で2時間強。
山が近いせいか、雨も多く、天気が目まぐるしく変わるという。
ラグビーと暮らしながら、現地のワイン製造所で働いている。
ワイナリーツアーに訪れたお客さんを相手にフランス語と英語を駆使して会社の成り立ちやワイン醸造の過程を説明し、テイスティングを楽しませる。
アジア・パシフィック地区向けの輸出担当者にも任命され、美味なるワインを広く届ける。
土地にこだわり、現地産ぶどうを使ったワインは年に500万本も生産される。
大型契約を得て社長を笑顔にしたのは、今年に入ってのことだ。
「いろんなことを通して、ポーのことを知ってもらえると嬉しい」と目を輝かせる。
女子日本代表選手として2016年のリオ五輪に出場し、翌年のワールドカップにも参加した。セブンズと15人制のキャップは、それぞれ25と5を持つ。
相手を追い、飛びかかるからニックネームはドーベルマン。ハードタックラーとして知られる。
冨田がポーで暮らし始めたのは2021年のことだ。
フランスには苦い思い出があった。セブンズでは、多くの大会で対峙するたびに敗れ、次のステージに進むことを何度も阻まれた。
2017年のW杯(15人制)では初戦の相手がフランスだった。試合開始早々にハイタックルのジャッジを受け、レッドカードを突きつけられた。
フランスの名が頭に浮かぶ時、辛い記憶が蘇った。
そんな日々に終止符を打ちたい、記憶を塗り替えたいと思ったのが渡仏のきっかけだ。
現地のクラブでシーズンを通してプレーできたら自信にもなる。充実した時間を過ごした場所にできる。
東京五輪へのチャレンジは、膝の靭帯断裂で断念した。
その後、リハビリを経て、自身の心に正直に動いた。
2021年9月から現地に暮らす。
各地のクラブに自身のプレー映像をまとめたものを送ったら、3つのクラブが興味を持ってくれた。
その中からラグビー熱の高い同国南部にあるクラブを選んだ。
所属するロンス・セクシオン・パロワーズは、同国女子リーグのエリート1を舞台に戦っている。
冨田は2季に渡り同クラブでプレーし、体を張るプレーで信頼を得た。
今季はユースレベルのコーチなども務めている。
働いているワインメーカーは、クラブのスポンサーのひとつ。そこに勤務することで就労ビザも得た。
月曜から金曜までの勤務は、生活のリズムと基盤を作ってくれている。
日本で基礎を学んではいたものの、フランス語についてはおぼつかないまま渡航した。
しかし、ポー大学に学び、ラグビー仲間と生活する中で語学力はメキメキと高まった。
ワイナリーツアーでは、日本語も含め、英語、仏語の3か国語を使える貴重な存在だ。
フランスに暮らして「変わった」自分を感じている。
以前は、人に厳しかった。
なんでもっと頑張れないの。
もっとやれるでしょ。
仲間にそんな思いを抱いたこともある。
「マイルール」という自分ならではの物差しを持って尖っていた、と以前の自分を回想する。
「いまは、随分穏やかになった。自分のことながら、そんな気がしています。こちらで暮らしていると、みんな本当に自由、と感じます。やりたいようにやる。生きたいように生きる。人にはそれぞれの生き方があるんだな、と思えるようになりました」
「人を受け入れられるようになりました」
そう話す32歳の笑顔は柔らかい。
ポーの街の一室で、良き理解者とともに暮らす。
ラグビー一途の生活こそ善、としてきた人生は決して間違いではなかった。
ただラグビーを中心に、いろんなことを知る日々も、また楽しい。
いずれにしても楕円球はいつも、日本でもフランスでも、人生を豊かにしてくれている。