その他 2023.08.11

テロ、紛争のない世界へ。誰ひとり取り残さない、たとえ加害者とされる人であっても。ラグビーコーチ張泰堉が向き合う現実

[ 見明亨徳 ]
テロ、紛争のない世界へ。誰ひとり取り残さない、たとえ加害者とされる人であっても。ラグビーコーチ張泰堉が向き合う現実
NPO法人アクセプト・インターナショナルで平和を追求する張泰堉さん(撮影:見明亨徳)


 ロシアによるウクライナへの侵攻。いまも世界のあらゆる地域でテロや紛争、小競り合いが続く。そして新たな憎しみを再生産している。ひとりのラグビーコーチが今年4月から「テロ、紛争のない世界」を目指し解決に取り組むNPO法人で働くことを始めた。7月には宗派の対立から隣国の侵略、そして内戦が続く中東レバノンを訪問しかつての兵士、いまも戦い続ける若い兵士たちにインタビューし紛争解決のために証言などの収集をおこなった。コーチは張泰堉(チャン・テユ)さん。1989年10月10日生まれの33歳。現在はトップイーストリーグAグループのヤクルトレビンズ、関東大学リーグ戦2部に属する中央大のFWコーチを務める。

 張さんは名刺を2枚持っている。本職は(株)NTTドコモ総務人事部。そしてNPO法人アクセプト・インターナショナルだ。NTTドコモが社員を1年間、社外の企業や団体に派遣し、全く違うフィールドでの学びや経験を通じて成長することが目的の「出稽古プロジェクト」という社内制度に応募した。「自分は初めから派遣先企業が決まったポストへの応募ではなく、社会問題解決に取り組む団体への派遣というポストに応募し、いくつかある候補先の中から、とりわけ問題の深刻度が高く『人』と向き合うことを生業としているアクセプト・インターナショナルに魅力を感じて派遣を志望した」という。

 オフィスは都内の小伝馬町にある。江戸時代から続く庶民の町。ここでスタッフ10数名が業務に取り組んでいる。2011年、アフリカ東部インド洋に面するソマリア内戦の悲劇・現状を知った早稲田大学1年生の永井陽右さんが「日本ソマリア青年機構」を設立した。ソマリア内戦は1980年代後半に自分の部族を優遇する政権に対し反政府勢力が結集し勃発した。その後も各部族間の主導権争い、隣国エチオピア、アラブ連盟、米国、国連などを巻き込んで無政府状態が続いた。正式な政権が発足後も度重なる飢饉や難民・国内避難民が発生し続けている。テロ組織アル・シャバーブによるテロ行為や住民に対する暴力、支援物資の搾取などで内戦状態は激化・長期化・広域化。
 永井氏らは2013年9月にケニアのソマリア人ギャングの脱過激化・社会復帰支援事業を開始した。3年後にはソマリア本国での取り組みを始めた。2017年4月にアクセプト・インターナショナル(永井陽右代表理事)を設立。インドネシアでの取り組み、日本国内では在日イスラム教徒の相談支援や非行少年の更生保護支援をおこなっている。これまでに500名以上のテロ組織からの離脱・投降を実現し、そして1200名を超える若者に社会復帰のためのプログラムを提供してきた。「永井さんは、僕の2歳下になりますが初めてお会いした時にその『熱意』『行動力』に圧倒されました」(張さん)。

レバノン内戦に参加した元兵士から話を聞いた(モザイク加工してます/写真提供:張泰堉)

 張さんがレバノンを訪問したのは2021年に公表した“テロと紛争のない世界”の実現を目指し、活動をさらに促進する日本発の国際条約を制定するという業務の一環だ。レバノンは1975年から15年間続いた内戦により国内が崩壊し、今なお宗派間の対立による衝突が続いている。7月13日から21日まで滞在し、首都ベイルートを中心に北部の貧困都市や南部の都市も訪問。現地NGOの協力などを得て45人の元兵士や現在も戦っている戦闘員にインタビューをした。

 証言を分析すると2つの異なる流れがわかったという。「1975年から’99年の内戦時に参加した現在60歳代の兵士たちは自分の国が終わってしまうことを防ぎたいという意思で自発的に参加していました。キリスト教、イスラム・アラブ系の対立で始まった内戦にシリアやイスラエルが加担することで自国を守るという思い。一方、20代、30代の若者は自分たちの党派が政権の主導権を握る争いに巻き込まれています。知識もない12歳から15歳の時に、政党のリーダーたちに洗脳されて勧誘され、武器を与えられて兵士になりました」。

 実は最初、7月前にレバノンへ行く予定だったが、NTTドコモから「危険地帯に社員を派遣することは難しい」と、ストップがかかった。張さんらは再度、レバノンの現在の安全性や現地での行動基準を明確にして会社へ話して許可を得た、という。

20代、30代の現役戦闘員からは元兵士とは異なる状況を収集(モザイク加工してます/写真提供:張泰堉)

 張さんはアクセプト・インターナショナルの休日を利用してFWコーチをおこなっている。ラグビー歴は2005年に大阪朝鮮高へ入学してからだ。東大阪朝鮮中ではバスケットに打ち込んだ。高校でもバスケを続ける予定で中3の2月には高校の練習に参加していた。しかし身長177センチ、80キロの体躯を高校ラグビー部が見逃すはずがない。金信男(キム・シンナム)監督、呉英吉(オ・ヨンギル)コーチから熱心な誘いを受けた。決め手がおもしろい。「呉先生がいる体育教員室に高校で使う体操服のサイズの採寸に行ったときに先生から『ラグビーをやろうな!』(実際は朝鮮語)と言われて握手を求められました。思わず『わかりました』と答えて手を握ってしまった」。

 当時の大阪朝高は前年度に2回目の冬の花園(全国高校大会)に出場していた。1年前に東大阪朝鮮中にラグビー部ができたばかり。入部者は経験者と素人が半々。1年生全員、練習はグラウンド隅でパスやタックルなど基本を1年間繰り返した。張さんのポジションはロック。3年生時は呉監督1年目のもとでラグビーに取り組んだ。そして大阪府第2地区予選決勝、都島工業高を29-24の接戦で制して3度目の花園切符をつかんだ。出場した「第87回全国大会」は後の高校ラグビー界に大きな軌跡を残す。東福岡高が18回目の挑戦で初の王者に輝いたのだ。

 高校卒業後は関西学院大へ進学。ここで大きな挫折を味わった。ロックで続けようと思ったがロックに必要な基礎技術ジャンプがまったくできなかった。「ラインアウトなどでジャンプが必要ですが高校のときに必要がなかったので」。そしてチーム内の序列では最も低いD(4軍)に入る。しかも3人しかいないDのリザーブだ。「これで終わるのかと。するとコーチにプロップ(PR)にならないか」と誘われた。1年生の9月にPRへ。3年生からリザーブに入る頻度が増えるもB、Cチームでプレーした。いつも同期の高橋樹(天理)がPR1番レギュラーだった。4年生になってパフォーマンスがあがり秋の公式戦、同志社大戦で初めてスターターになり最後まで守った。

 遅咲きのPRには社会人チームから声がかからない。卒業する年、2012年1月にNTTドコモレッドハリケーンズのテストを受けて加入が決まった。4月からチームに入るも正社員にはなれず契約社員として働く。1年間すごし翌年に正社員となった。
 ドコモで2017年シーズンまでプレーし引退、社業に取り組んだ。熱量をもち努力する張さん。引退直後に、母校、関西学院大の牟田至監督が誘いコーチを始めた。まったく考えになかったコーチの道が人の縁で開いた。2020年春から念願がかない国際事業部に異動、東京に転勤。母校のコーチは週末通い翌年まで続けた。

ヤクルトレビンズのスクラムを見る。FWコーチの目になる(撮影:見明亨徳)

 東京に移った年にヤクルトからコーチの声がかかった。ヤクルトにいた高校同期の金弘泰(キム・ホンテ)さんの誘いだ。去年4月には中央大コーチも加わった。こちらも楕円球の縁だ。日本代表スクラムコーチの長谷川慎氏は中大OB。「’21年8月に慎さんが所属したヤマハ発動機ジュビロの地元の居酒屋で慎さん含め4人で4時間くらいスクラムトークをしました。そのときのことを覚えていてくれて中大に『熱』をもっている人をと」。長谷川氏も今季、中大アドバイザーに就任し再建に力を貸している。

 コーチ業は「人(選手)とどうやって向き合いつながっていくか。スクラムを強くするプランを作り目標に向かってマネジメントしていく」。一番大事なのは「熱(パッション)です」と話す。これはレバノンでも話を聞いた兵士たちに平和への貢献のために来ているという「熱」をぶつけた。「それを少しでも理解してくれたと思います」。

 ヤクルトレビンズはリーグワン加盟の申請を提出した。社員選手、プロ選手、外国人選手の混合でトップイーストリーグ優勝を目指す。「僕自身がリーグワンでも通用するコーチの基準、スタンダードまで実力を上げていかなければいけないと痛感しています」。中大も昨年逃した1部復帰をかちとりたい。週一回平日夜にヤクルト、金曜朝に中大、週末はヤクルトからの中大、というコーチ業をこなす。

 一方、アクセプト・インターナショナルの仕事は1年間と決まっている。来年3月末までだ。「ドコモに戻ってからも国際的な業務に携わりながら、社会問題にも目を向けられる人材として、ドコモのサービスや資源を使っていかに社会問題にアプローチできるか? を念頭におきながらサービスの企画や、現場の最前線で活躍できる人材として貢献できればと思っています」。


※ NPO法人アクセプト・インターナショナルを詳しく知りたい方はHPをご覧ください。
https://accept-int.org

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