コラム 2023.04.28

【ラグリパWest】ラグビーにおける応援について。

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】ラグビーにおける応援について。
応援の方法は自由も、プレーヤーをリスペクトする思いを最優先に。(撮影/松本かおり)



 ラグビーの大先輩から、悲しくなるような言葉がこぼれ落ちた。

「聞くにたえなかった」

 ラグビーの応援に落胆していた。

 大先輩は楕円球界の発展のため、長年尽くしてきた。役務で社会人の試合に行った時、そこで繰り広げられていたのは、自チームに対する「一方的」な応援だった。スクリーンや音響を使って手拍子などを強要する。

 そういう応援の仕方はラグビーにはふさわしくない—。それが大先輩の思いである。

 半世紀ほど前、入ったラグビースクールでは教えられた。
「相手のいいプレーには拍手をしましょう」
 ノックオンなどのミスやゴールキックの失敗を喜んだりする風潮はなかった。

 観客席に今のようなサイドがなかったこともある。互いのチーム関係者は呉越同舟で座った。応援は隣に遠慮するものだった。今でもラグビーでは鳴り物は使われない。

 ラグビーは相手に対して、敬意を持つ競技である。試合をする「仲間」だ。よくぞ15人を集めてきてくれた。まずそこを敬う。上手い下手や点差や勝ち負けではない。だからこそ、国を導く子弟が多く集まる英国のパブリック・スクール(寄宿学校)でこのスポーツが広まった。

 ただ、時代は流れてゆく。一方的な応援が悪い、とは言っていられなくなった。プロ選手の出現である。

 今から約30年前、1995年、世界のラグビー統括機関であったIRB(現WR=ワールドラグビー)は、アマチュアリズムの撤廃を宣言する。それまでの「試合に出ても報酬を要求しない」は、過去の遺物として彼方に追いやられた。プロ選手の存在を正式に認めた。応援もそれにともない変化する。

 当然だ。勝敗がサラリーに直結する。イエローやレッドのカードをもらえば、罰金は必至。生活、つまり生き死にラグビーが直結する。やっている方も、見ている方も必死になる。その流れは社会人のみならず、大学や高校にも奨学金や競技推薦という形で下りてくる。勝敗で人生の方向性が決まる。

 昔のラグビーは荒っぽかった。スクラムを組む時、頭突きやパンチが飛んできたことがあった。ラックでは踏みつけられる。レフリーは善意の立会人。タッチジャッジにアピール権はなく、1人の人間が30人を裁く。もちろん、瞬時の映像判定など存在しなかった。

 ところが、そんなはるか昔にもフェアプレーの精神に徹したチームがあった。当時の神戸二中、現在の兵庫高校である。

 そのことを藤島大が活字で伝えている。『花園の記憶。高校ラグビー激闘の全記録』(ベースボール・マガジン社)の巻頭である。この本は今から20年前に刊行された。

 藤島が材を採ったのは16回全国大会。開催は1934年(昭和9)である。準決勝で神戸二中は秋田工と対戦する。

<戦前の予想は互角。秋田工は必死だった。スマートな神戸二中を倒すためには体を張るほかない。
 CTBの佐沢主将が倒れた。WTB神谷は気を失った。すると、そのつど、神戸二中の選手たちが腕を差し伸べて介抱にあたるのだった。
 激しいもみ合い。スクラムが宣告される。疲労困憊の秋田工FWは、集まりが遅れる。
「さあ元気にいきましょう」
 またも敵軍からエールが飛んだ。
 プロップの伊藤はのちに語った。
「試合中に励まされて涙が出るほどありがたかった」>

 そして、戦いが終わった。勝ったのは励まされた秋田工。スコアは11−8だった。

<秋田工は、神戸二中の公正で寛容な試合態度を肝に銘じた。すると、なんとも清々しいような心持ちが胸の内に広がるのだった。  決勝。不利を覆し、無敵を誇る京城師範を8−5で破った>

 京城はソウル。当時、朝鮮半島は日本の施政下にあった。師範は教員養成学校である。この大会の3年前には満州事変が起こり、日本は太平洋戦争に突き進んでゆく。きな臭い世相において、こんな試合が存在した。

 秋田工の全国大会出場回数は70。優勝はこの初回を含み15回。どちらも歴代最多である。兵庫の出場は13回。昨年度の102回大会は合同での参加になったが、フェアプレーの子孫たちはチームを守り続けている。

 この90年前の試合に範をとるのはいささか無理があるかもしれない。甘ったるい懐古主義かもしれない。しかし、こういう時代があったことは紛れもない事実である。

 今でも、ストッキングを上げる、ジャージーのすそをパンツに入れる、など選手のみだしなみを言われるのは、きちっとしたスタイルで試合に臨む、相手に敬意を示す、ということにほかならない。

 ラグビーの応援はお互いを讃え、競技者は相手を愛する。それらを具現化したフェアプレーの時代があった、ということを応援者、競技者双方の心の片隅に置いておいてもらえれば、大先輩の悲憤も少しは取り紛れるものでないか、と思っている。


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