コラム 2023.03.30

【ラグリパWest】雪辱の一年。朝日大学

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】雪辱の一年。朝日大学
昨秋、大学選手権の連続出場が10回で途切れた朝日大学ラグビー部。共同主将に梶原悠汰(左)と辻󠄀谷祐貴(中)を据え、雪辱の1年を送る。吉川充監督は指導24年目に入る



 吉川充(よしかわ・みつる)は緑色が鮮やかな人工芝グラウンドの中に誘(いざな)う。芝は立つ。張り替えは昨年すませた。

「ここから、岐阜城が見えますよ」
 北の方角には天守閣が遠望できる。金華山の上に作られた織田信長の居城である。

 南には墨俣(すのまた)の一夜城が視認できる。信長の命により、ひと晩で築城したのは木下藤吉郎。のちの豊臣秀吉。出世城となった。天下取りの両人の息遣いが聞こえるかのような場所に朝日大学はある。

 吉川は監督としてこの大学のラグビー部を率いる。この4月で51歳になる。
「ここが人生で一番長く過ごしている場所になりました」
 日焼けした顔を緩める。黒目の強い輝きがこの指導者の特徴だ。

 大阪→天理→大阪→磐田、そしてこの岐阜に落ち着いた。濃尾平野の西は冬場、「伊吹おろし」と呼ばれる西風が特に強い。
「冬は寒いです」
 コーチとして初めてこの大学を訪れたのは2000年。まだヤマハ発動機(現・静岡)の現役だった。かかわりは四半世紀近くになる。

 翌年、引退。その夏、フルタイムのコーチについた。2010年に監督に就任。その秋から現在も続く東海リーグの連覇は13。この地区を代表するチームになった。

 大学選手権の出場は2012年度の49回大会から10連続としていた。この大会からファーストステージが新設される。地方にさらに門戸が開かれ、東海・北陸・中国・四国代表と九州と北海道・東北の各地区代表3校がリーグ戦を戦うようになった。

 その「11連続出場」は昨年11月、IPU(環太平洋)に阻まれる。岡山にある大学に28−30と初敗北。59回大会の東海・北陸・中国・四国代表決定戦だった。6大会前からトーナメントになり、現行の代表になる。

 吉川は相手を讃える。
「IPUはいいチームでした。外国人留学生のNO8を中心によくまとまっていました」
 ティエナン・コストリーはリーグワンのアーリーエントリーですでに出場中。神戸(旧・神戸製鋼)に入団した。

 共同主将の辻󠄀谷祐貴はIPUと比べて、自分たちの至らなかった点を話す。
「フィジカルで負けていました」
 辻谷は吉川の出身高校、天理の後輩である。HOやサードローをこなす。

 その課題を踏まえ、もう一人の共同主将、梶原悠汰は新チームでのウエイトトレの改善点を指摘する。
「待ち時間に瞬発系を入れました」
 休みを少なくする。重いものを持ち上げながら、軽いものでもやる。梶原は地元の名古屋工出身。キッカーもこなすSH兼WTBだ。

 辻󠄀谷はベンチプレスで145キロほどを差し上げるようになった。
「(以前より)15キロくらいは上がるようになりました」
 食トレも導入。梶原は3食で白ごはんを1700グラム食べる。現在の体重は69キロ。
「4キロほど増えました」
 選手たちは大学近くの専用寮に住まうため、食トレはやりやすい。

 チーム初の共同主将制は新4年生が話し合い、吉川が了承した。
「コツコツとやって、背中で見せる辻󠄀谷と天才肌の梶原の組み合わせです」
 お互いが補完しあいながら、チームが良化することを望んでいる。

 吉川は大阪の中学、大宮で競技を始め、天理へ進んだ。4学年上の先輩、長尾繁樹に誘われた。CTBだった長尾は1986年度の高校日本代表でもある。吉川は174センチとそう大きくはなかったが、機動力と激しさで2年からFLでレギュラーになる。

 その2年間の全国大会は優勝と準優勝。69回大会(1989年度)は啓光学園(現・常翔啓光)に14−4、主将になった70回大会は熊谷工に9−19だった。高校日本代表に選ばれ、ウエールズにも遠征した。

 大学は大阪商業。中高大すべてで長尾を追う形になる。大商大は今でこそ関西リーグのD(四部)だが、当時はA。吉川が入学する3年前にはチーム最高の2位に入った。吉川が2年の時、入試漏洩事件が起きる。活動は停止。3年はBリーグスタート。その秋の入替戦でも勝てず、4年時もBだった。

 失意の中、ヤマハ発動機へは中尾晃が誘ってくれた。天理の6学年先輩である。中尾は現在、関西ラグビー協会の大学トップ、大学リーグ委員長である。吉川は人に可愛がられる魅力がある。

 今、吉川が指導を施す朝日の創部は1978年(昭和53)。大学創立から7年を経る。主なOBは阿久田(あくた)健策。相模原(旧・三菱重工相模原)の38歳FBだ。トンガ代表のバックロー、シオネ・ヴァイラヌもまた籍を置いた。

 創立当時の校名は岐阜歯科。歯科医を育てる私立の単科大としてスタートした。1985年、現校名になる。今は4学部制。歯学や法学や経営、それに大学院がある。

 学長の大友克之はラグビー経験者だ。吉川は話す。
「大学の時にやっていました」
 大友は昭和大学卒の整形外科医でもある。チームドクターとして帯同してくれたこともある。吉川にとっては心強い存在だ。

 大学は外国人留学生を認めてくれている。新4年生のサミュエラ・ワカヴァカは縦に強いバックロー。愛称は「サム」は副将をつとめ、日本語で指示を出せる。勤勉である。

「ただ、外国人に頼ると長続きしません」
 吉川は日本人の奮起を願う。その中でロックの高橋拓光(たくみ)はU20日本代表の候補に入った。松韻学園福島出身の新3年生。190センチ、110キロのサイズがある。

 今年の目標は、IPUに雪辱を果たし、大学選手権に出ることだ。
「1年で戻れないと、戻れません」
 吉川は力を込める。選手権では朝日の最高位である3回戦を突破したい。そこに一番近かったのは56回大会(2019年度)。関西学院に19−38。勝てば8強入りだった。

 新入生30人を含む、選手82人はその高みを目指す。そのための奮闘を信長や秀吉という天下人を生んだ風土で続ける。


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