ネジが外れたように激しく。栗田文介(早大1年)の決意
3万5438人のファンが見つめる巨大スタジアムのピッチに、1年生ながら立った。
幸せだ。
しかし、栗田文介(くりた・ぶんすけ)は悔しそうだった。
12月4日におこなわれた早明戦(関東大学対抗戦A/国立競技場)は35-21で明大が勝った。
紫紺のジャージーはキックオフ直後の先制トライなど、序盤に3トライを重ねて21-0と大きくリードする。
早大も反撃したが追いつくことができなかった。
この日、赤黒ジャージーの6番を背負ったのが栗田だった。
「勝つつもりで試合に臨みましたが、最初に3連続トライで流れを渡してしまった」
試合後のミーティングを終えて報道陣の前に姿を現すと、そう話した。
奮闘した。
21点をリードされた前半、28分にWTB松下怜央が奪った反撃のトライはラインアウトからの攻撃だった。
そのきっかけは栗田が作った。ジャッカルで相手の反則を誘う。その時に得たPKで敵陣深くに入ったプレーからトライは生まれた。
そのシーンを振り返って「たまたま」と照れる。
そして、「ボールキャリーで高く浮いてしまったところもあった。修正しないと」と反省した。
持ち込んだボールを相手にもぎ取られたシーンを悔やんだ。
愛知・千種高校の出身。花園出場の経験はない。
ただ、高校時代は県選抜の副将を務めた。周囲は強豪・中部大春日丘の選手たちがほとんどだった。
小学校6年生の時に名古屋ラグビースクールに入り、中学生になってもプレーを続けた。
千種に進学したのは早大への進学を考えてのことだ。OBたちが何人も上井草で鍛えられているのを知り、決めた。
早稲田ラグビーのスタイルに惹かれた。
「試合を見て、ここでやりたいなと」
齋藤直人主将が率いたチームが大学日本一になった時の印象は特に強い。浪人してでも進学したいと決意した(現役合格を果たしている)。
現在は184センチ、99キロ。入学時は110キロもあった。
新人練の頃を思い出し「一番ダメでした」と言う。
Dチームからスタートした春。体が絞れるとパフォーマンスも高まっていった。夏合宿あたりから頭角をあらわした。
開幕の青学大戦からリザーブ入り。後半途中からピッチに立って対抗戦デビューを果たす(LO)。
3戦目の日体大戦では4番のジャージーで初めての先発出場。初トライも決めた。
早慶戦からは6番を任され、この日の早明戦までに6試合出場を果たした(先発4試合。筑波大戦は23人のメンバー入りも未出場)。
キックオフ直前に国立競技場に足を踏み入れた時、「観客の多さとスタジアムの大きさに緊張しました。しかし(試合が始まって)、コンタクトをして落ち着いた」という。
1年生ながら起用され、期待を感じている。「求められていることを体現したい。責任を感じています」。
強みはボールキャリーと自覚する。激しいコリジョン後、力強くレッグドライブをして前へ出る。下半身の強さは「高校時代の土のグラウンドのお陰でしょうか」と自己分析。
ルーキーイヤーから試合出場を重ねられていることに充実を感じてはいるが、「もっと高いレベルに」と向上心を忘れない。
寮では4年生のFL植野智也、3年生のSH島本陽太と同じ部屋で暮らす。
先輩たちの愛情を受け、このクラブに入ってあらためて良かったと思う。
「脳震とうもあり、なかなか試合出場ができていないのですが、植野さんのタックルは、自分もああいう風にしたいと思うものです。低く、激しく刺さる。ネジが外れたようなプレー。自分もタックルの時は同じようになりますが、まだ足りない」
先輩はいつも、「頑張れよ」と送り出してくれる。気持ちが熱くなる。
12月11日の東洋大戦から、負けたら終わりの大学選手権が始まる。
勢いに乗るチームは手強い。早明戦直後のミーティングで大田尾竜彦監督は「(月曜日のオフの翌日の)火曜日は、一歩目から集中していこう」と選手たちに呼びかけた。
その気持ちに応え、最高の準備をして次戦に挑む。
「4年生に(日本一になったときの凱歌)荒ぶるを歌ってほしい。試合に出られない選手たちのためにも、もっと体を張ってプレーします。早稲田は全員で戦うチーム」
自分が周囲を引っ張るつもりで走り回る。