【コラム】大敗をめぐる私見
愚者ほど結論を急ぐ。
いまの道を志した成城大学の学生時代、高田馬場にある資格試験学校の開く「スポーツライター講座」で講師の同業者が伝えてくれた。
業界への横滑りが叶って16年。取材対象者について何らかの断言をする前には、ひとまず立ち止まらねばならないと年を重ねるほどに思う(資格や免許のいらない仕事のいろはを教える「講座」が資格試験学校で開かれていた矛盾は、この際、問わない)。
愚者ほど結論を急ぐ。
言い換えれば、何も知らない時に限って何かを発したくなる。
厄介なのは、ここでの何かを発したくなる人は、往々にして自分が何も知らないことを知らない。目に見える現象が目に見えない、もしくは見えづらい事象によって成り立っているスポーツの試合について書いたり、語ったりする際、陥りがちな状況ともとれる。
ラグビー日本代表は、10月29日にニュージーランド代表とぶつかる前に「JAPAN XV」として対オーストラリアA・3連戦に臨んだ。そのうちの試合のひとつで、日本代表のある選手がタックルをたくさん決め、それが取材エリアで話題となることがあった。
ところがタックルをした当の本人は、「(相手ランナーが目の前に来たら)来たら(タックルに)行くという感じ。本来なら正しい選手をそこに配置して、僕は(タックルに)行かないのが一番」。防御システムの役割分担上、自分が最前線に立ってタックルするのは不正解だというのだ。
いまの日本代表では、元イングランド代表のジョン・ミッチェル アシスタントコーチが防御を担当。タックルを放つべき選手が早めに所定の位置に並び立ち、パスをもらう相手から見て外側、内側のコースを抑える計2選手が鋭く間合いを詰めるよう意識づけているような。
そしてラグビーにおいて、防御ラインに入るべきポジション、なるたけ別な役目に回るべきポジションがあるのは明白である。
いずれにせよ、見かけ上の「グッドプレー」がシステムの未発達ぶりの証左となることもある。
逆も真なり。一見すると個人の「バッドプレー」に映るシーンも、当該者の落ち度を問う以前に考えるべき項目がある。
10月29日のニュージーランド代表戦を31―38で終えた日本代表は、11月12日、敵地トゥイッケナムでイングランド代表に13―52で完敗した。
競技力の根幹をなすぶつかり合いで後退を余儀なくされ、陣取り合戦においては空中戦で競り負けたり、スペースに首尾よく球を蹴り込まれたりと、目に見える現象では圧倒されたと言える。
筆者は現地時間11月17日に欧州入り予定だ。すなわちジャパンのリアルタイムな情報は、本稿読者と同じ程度しか持ち合わせていない。ただし、2016年秋発足の現体制への継続的なカバーをもとに、現象の背景を考えることならできる。
一例にスクラムを挙げる。トゥイッケナムでは大きく押し込まれることもあり、一部の愛好家は責任の所在を最前列の選手に求めているようだ。ただきっと、話はそう単純ではない。
日本代表は長谷川慎アシスタントコーチのもと、「力を漏らさないスクラム」を目指す。互いが密着しながら芝へ噛ませるポイントの本数、各人の膝の角度などを厳密に定める。2019年のワールドカップ日本大会でアイルランド代表に組み勝ったのも、その形を遂行しきったからだ。
その日本大会の直前期、長谷川は低い位置で「力を漏らさない」ための仕組みについて語っている。「3番」は最前列の右プロップを、「6番」は「3番」の後方で組むフランカー(実際には7番の場合もあり)を指す。
「例えば3番(最前列の右プロップ)が押されるのって、6番が悪かったりする。そういう細かいところまで皆が理解しないと、なかなかいいスクラムが組めない。(選手とは)常にそういう話をしながら、何か問題が起きたらそこ(原点)に立ち戻る。そういう3年間を過ごしてきました」