情熱と感謝。練習生から日本代表抜擢へ。PR竹内柊平[浦安D-Rocks]
近くて遠い場所だった。
日本代表の宮崎合宿における恒例の宿泊先、宮崎市のフェニックス・シーガイア・リゾート。
ガラス越しに景色を眺望できるエレベーターに乗りながら、日本代表プロップの竹内柊平(しゅうへい/浦安D-Rocks)は感慨に浸っていた。エレベーターから実家が見えるのだ。
「ホテルから実家がめちゃくちゃ近くて(笑)。エレベーターに乗っていると(実家が)見えるんです。僕の小学校の学区も近いので、懐かしいな、と思いながら地元を見ていました」
地元を走り回っていた頃の自分は、将来を嘱望されていたわけではなかった。
今でこそ183センチだが、中学3年時点では「分厚い靴下を履いて、背伸びをして160センチ」(竹内)。選抜と名の付くものからも縁遠かった。
「ラグビースクールで一人だけ県選抜に選ばれませんでした」
宮崎工業高校時代は花園予選で一度も勝ったことがない。3年連続、県予選の初戦で散った。
スポットライトとは無縁。それでも、ここまで辿り着いた。
2022年6月18日のウルグアイ戦で初キャップを獲得し、宮崎工業、九州共立大初のラグビー日本代表になった。
さらに今秋の日本代表41名に練習生から抜擢されて10月1日、オーストラリアAとの第1戦に途中出場。フィールドプレーで特に力を見せた。
フィールドプレーは日本代表のジェイミー・ジョセフHCの評価を得ている。
練習生から正代表に引き上げられた理由について、竹内は「フィールドプレーだと思います」と話した。
「フィールドでのアグレッシブなディフェンス、アタックを評価しているとは言ってもらいました。代表合宿に参加してからスクラムも上達したと思います」
スクラムは発展途上で伸びしろがある。プロップ歴はまだ約3年半だ。
8対8のスクラムを初めて組んだのは2019年3月の「トップリーガー発掘プロジェクト」。以前はLO/NO8だった。
高校の恩師、佐藤清文前監督、九州共立大の松本健志監督らに後押しされてトップリーグ(現リーグワン)トライアウトに挑戦。入ったチームのヘッドコーチを担当したのが現浦安の斉藤展士アシスタントコーチだった。
「トライアウトのアップ中に、明らかに変な組み方をしていたんですよね」と斉藤コーチは振り返る。「試合中も変な組み方だから一回ゲームを止めて『もうちょっと左肩をまっすぐ出したら』と話したら『今日初めて8対8を組んだので分かりません』と言われたんです」
近鉄、NEC、NTTコミュニケーションズでプレーし、無類のスクラムパワーを誇った斉藤コーチは「ただ情熱が凄かった」と当時の竹内を振り返る。
直感が働いた。獲るべきだ。後日NTTコミュニケーションズの練習に参加してもらった。
直感は正しかった。
「練習に参加してもらったら凄く良かった。コーチ陣は満場一致でした」(浦安・斉藤アシスタントコーチ)
NTTコミュニケーションズでは1年目に前十字靭帯を断裂して長期離脱を余儀なくされたが、持ち前のハングリー精神でスケールアップした。
見違えていたのはリーグワン初年度のプレシーズン。衝突局面での迫力が違う。存在感が違った。同期のCTB本郷泰司、後輩のHO藤村琉士らと重ねた過酷な自主練習も奏功した。
そして本番のリーグワン初年度は15試合出場。さらに日本代表予備軍のナショナル・デベロップメント・スコッド(NDS)に招集。恩人の一人である斉藤アシスタントコーチもNDSにコーチとして参加した。
「(NDSは)特別な時間でした。ノブジさん(斉藤アシスタントコーチ)には初心者の状態からスクラムを手取り足取り教えてもらいました。ノブジさんに恩返しができたらと思います」
竹内はよく「恩返し」と口にする。恩返しをしたい恩人がたくさんいるからだ。ハングリー精神で昇ってきた自負はある。でも、自分一人では近くて遠い場所まで、辿り着けなかった。
まだ見ぬ景色がたくさんある。情熱と感謝をエネルギーにして、さらに上へと昇っていきたい。