コラム 2022.09.27

【ラグリパWest】仏法とラグビー。大内寛文 [広島・長善寺/住職]

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】仏法とラグビー。大内寛文 [広島・長善寺/住職]
広島・竹原にある長善寺の住職をつとめる大内寛文さん。現役時代はバックローとして日本代表に入り、リコーや龍谷大でもプレーした。その思い出のジャージーや写真は大切に飾ってある
長善寺の寺宝である「進者往生極楽 退者無間地獄」の旗。門徒たちはこの旗を舳先にかかげ、石山合戦で織田信長と戦った



 広島の竹原は青い瀬戸内海に沿う。緑濃いその街を北に上がると長善寺はある。

 天台宗から浄土真宗に宗旨替えしたのは1514年。室町時代である。この宗門(しゅうもん)はその頃、一向宗と呼ばれた。

 60年ほどのち、この寺の門徒たちは織田信長との石山合戦に従軍する。この地を含め10か国の太守、毛利の軍勢に加わり、水軍となって大阪へ駆けつける。

 この戦いは宗教戦争の観もあった。舳先につけた「進者往生極楽 退者無間地獄」の白い旗は寺宝として今も残る。
「この旗は教科書にも載せてもらっています」
 大内寛文(ひろふみ)は説明する。21代目の住職である。500年の寺歴を継ぐ。

 大内は11月で56歳になる。若かりし頃は日本代表でもあった。白っぽい穏やかな表情からは、バックローとしてボール争奪の先頭に立ったことは想像しがたい。ただ、体の大きさは黒い僧衣の上からでもはっきりわかる。現役時代は187センチ、100キロだった。

 大内は日勤と呼ばれる寺の業務をこなす。
「夏なら日の出とともに門を開けます。お参り、掃除などを済ませます。午前8時には寺を出て、門徒のお宅を回り、お経をとなえます。一般的に報恩講と呼ばれます」
 1年に少なくとも1回は門徒宅を訪れる。

 午後も休む暇はない。
「お寺の事務や会計、それに寺内の修理や修復があります」
 そこに葬式が入る。往生は予測できない。
「丸1日、なにもない日はほぼありません」
 週末は法事とラグビースクールがある。

 門前の芝生を子供たちに貸し出す。
「10数年前は荒れ地でした。それを耕して、テフトンを植えました」
 ここをホームにするのはSeaDragons(シードラゴンズ)。大内がアドバイザーをつとめる竹原ラグビークラブのスクール部門だ。

 今のメンバーは30人。近くの小学校の全校生徒が19人ということなどを考えれば、決して少ない数ではない。
「私の今のラグビーは芝刈り。手押しで3時間ほどかけて刈ります。体を動かすのはやっぱり気持ちがいいですね」

 大内のラグビーの順序は変わっている。高校から社会人に行き、大学に戻った。
「すぐに高いレベルでやりたかったし、社会勉強もしたかった。社会を知らないといい僧侶になれません」
 父の亮文のあとを取ることは決まっていた。就職先は東京にあるリコー(現BR東京)。大内は高校日本代表に選ばれるが、その監督だった水谷眞の勤務先でもあった。

 入社は1985年。入学した竹原高校で初めて見た楕円球に興味を持って4年目だった。
「東のリコー、西の近鉄と呼ばれるくらいの日本一きつい練習でした」
 当時、プロはない。早朝に荏原町に出社。一般社員と同じ社業を終えて夕方、寮とグラウンドのある二子玉川に戻る。

 練習時間は4時間ほど。
「そこから高卒の新人3人でボール磨きです。30個くらいはあったと思います」
 ゴムではなく革製。唾(つば)で磨く。
「テレビを見た覚えはありません。木曜の夜だけ練習はなかったけれど、楽しく遊んだ記憶もない。しんどいから寝ていました」

 疲労と戦いながらも成果は得る。1990年、日本代表に選ばれる。初キャップは10月27日、アジア大会決勝の韓国戦。9−13と惜敗したが、翌年、2回目のワールドカップに召集される。キャップ数は5を持つ。

 その世界大会と重なるように、龍谷大学に入学する。僧職の資格を得るためだった。
「馬のような先輩でした。試合で3人を引きずって走っていました。そんな人は見たことがありません」
 吉村太一は証言する。学年は3つ下。現在は花園近鉄のチームディレクターをつとめる。大内の3、4年は関西Aリーグで最高位の3位。卒業後は再びリコーに戻り、2年を過ごす。そして、竹原に帰る。

 10年前には乞われて母校・龍谷の監督になった。2012年から4年間、その任についた。チームはBリーグに落ちていた。

「恩返しです。夜9時に京都のグラウンドを車で出発して、深夜1時に竹原に戻る。午前中は寺務をやって、また車で京都に戻って、夕方の練習に顔を出したりしていました」

 その間、部員たちと富士山に登ったり、ニュージーランドに遠征したりした。
「自分の子供ならこうしてやりたい、というのが基準でした」
 その4年の成績は4、4、2、2位。チームを上向きにして任を離れる。

 ラグビーと仏教の類似点をジャン=ピエール・リーヴの言葉に見つける。
<ラグビーは子どもをいち早く大人にし、大人に永遠の子供の魂を抱かせる>
 リーヴはフランス代表の主将だった。

「まさしくそう。では、大人とはなにか?と問われると、つながりを意識して、感謝して生きていける人のことを指します。これが大人です。つながりは仏教用語で縁と言います。ラグビーは性格、環境、ポジションも違う中で同じ目標にチャレンジします。一人では勝てない。縁を感じ、みんなを認め、一体とならないといけないのです」

 社会でも、つながりを意識して、自分の役目を果たす。世のため、人のために生きる。世の中を浄化させるのが宗教なら、ラグビーにもそれがある。

 大内は身内にもラグビーの縁がある。長男の真(しん)はBL東京に籍を置く25歳のフッカー。このチームのトップ、GMは高校日本代表の同期だった薫田真広である。

 仏と楕円球という2つの縁を得た上で、大内は宗教を定義する。
「怖いものではありません。どう生き、どう死ぬか。その基準なのです」

 長善寺の掲示板には書かれてあった。
<ほんものに出会わなければ、にせものがほんものになる>
 これからも本物の布教を続けてゆく。


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