【ラグリパWest】ちゃんちゃんこでも挑む。松尾勝博 [駿河台大学ラグビー部/監督]
松尾勝博を若い人たちは知っているだろうか。ラグビーにおけるその輝かしい実績を。
ワールドカップは1987年の初回から3連続で出た。170センチほどの体ながら、飛ぶキック、強いタックルなどで桜のジャージーのスタンドオフを任された。
第1回大会からの3連続は3人。松尾とバックローのシナリ・ラトゥ、そしてミッドフィールドをこなした平尾誠二。「ミスター・ラグビー」は同志社のひとつ先輩にあたる。松尾の日本代表キャップは23である。
「3回も出してもらってありがたいよね」
焦げ茶に日焼けした卵型の顔が緩む。髪やヒゲには白いものが目立つ。
「もう、赤いちゃんちゃんこやで」
松尾の学年は来年、還暦を迎える。生まれは1964年の1月。この年、東京では最初のオリンピックがあった。
その年齢でも松尾は挑み続けていられる。幸せな人生である。監督として駿河台を率いる。この大学は予備校をその教育の祖に据える。ラグビー部の所属は関東リーグ戦3部。リーグは8校で形成されている。
今年の開幕戦は9月18日。東工大をホームに迎え撃つ。大学に隣接したグラウンドは埼玉の西部、緑豊かな飯能(はんのう)にある。試合は23−10で開幕白星を挙げた。
「2部昇格」
松尾の口から目標はすっと出てくる。就任11年目。入替戦には4回出たが、まだこの2部昇格はない。昨年は入替戦に出られない3位だった。限界突破もあり、ディレクターとして冨岡鉄平を招へいする。
松尾の冨岡の評価は高い。
「だいぶん助かっているよ。グラウンドは彼に任せている。チームがいい加減になるところに、びしっとスジを通してくれる」
冨岡は東芝(現BL東京)の監督を2014年から3季つとめた。センターとして日本代表キャップ2を持つ。
松尾に対する選手の信頼は揺るぎない。主将の小林駿介は松尾と同じ司令塔である。
「代表になった感覚を普通の人は持っていません。走り方、ボールのもらい方、その前の動きなどすべてが勉強になります」
小林は國學院栃木出身の4年生。秀でたキックなどはこの師匠譲りである。
この飯能に来るまで、松尾のコーチ経験は豊富だ。選手として入った社会人のワールドではヘッドコーチを任される。退社後は7人制日本代表や青学大、流経大も見た。駿河台に来る2012年には、日本協会の要請でラオスの7人制代表の指導もする。
「チームは作り立て。アジア大会に初出場した。ボウルだったけど優勝したよ」
各プールで最下位チームによる勝ち抜き戦だったが、わずかな期間で結果を残した。
今に続く、松尾のラグビーのキャリアが始まったのは宮崎で高校に入った直後。県立の延岡東(現・延岡星雲)だった。
「それまで野球をやっていたけど、ラグビーは活気があって楽しそうやった」
野球では遊撃手で三番。元々の運動神経のよさはあった。
「全体が終わってから、最低1時間は個人練習をしたなあ。スタンドオフにいけ、っていわれたけど、キックは30メートルほどしか飛ばない。このままではみんなに迷惑をかける。もう、必死のパッチですよ」
能力に鍛錬が加わり、長いキックは武器のひとつになる。2年時には学校創立4年目にして初めて花園に出場する。60回大会は初戦で西陵商(現・西陵)に3−15で敗れた。翌1981年度は高校日本代表に選ばれた。
同志社にはもっとも確実な「特セレ」、いわゆる商学部セレクションで入学した。当時は各学年1人。大八木淳史から始まり、翌年は平尾だった。そして、松尾。日本代表キャップをロックの大八木は30、平尾は35を得る。
監督だった岡仁詩は、松尾をスタンドオフに置き、平尾をセンターに下げる。ダブル司令塔は奏功。同志社は松尾の1年から大学選手権を3連覇する。19〜21回大会だった。この記録は帝京の9連覇まで最長だった。
ワールドでは1994年、当時の絶対王者だった神戸製鋼(現・神戸)の連勝記録を71で止め、関西リーグを制する。松尾は翌年のワールドカップを終えて、現役引退する。
この選手時代から松尾の愛称は「与作」。北島三郎の名曲からとられた。
「田舎もんという意味じゃない。うっかりするところがあるけど、憎めない部分がある、っていうことが曲の主人公と重なった」
列車の連結部分でボールを磨いていたら、風でそのボールが飛ばされていったなど、エピソードはたくさんある。
その人柄は今も慕われる。駿河台の監督は個人事業主として請け負っているため、ほかとの兼業は可能だ。
「弘前サクラオーバルズのスーパーバイザーや栃木国体の成人7人制のアドバイザーをさせてもらってるよ」
青森の女子チームやこの秋の国体で開催地優勝を狙うチームからも頼りにされる。
ただ、軸はやはりこの駿河台の青いジャージーだ。ラグビー部創部は大学創立と同じ1987年(昭和62)。今は最上の支援を受けられる強化指定団体10の内のひとつに選ばれている。駅伝部は今年1月、箱根駅伝に初出場した。そのよい流れに続き、まずは二部入りを現実化したい。
学休期間、8月末の練習は午前と午後の二部制だった。午前中は室内でのウエイト。午後は夏の刺すような日差しの中、ボールを使った。松尾は始まりから終わりまで、2時間近く人工芝グラウンドに立ち続けた。
「そこらへんは大丈夫」
年齢と体力はまったく関係ない。コーチをする資格はまだまだある。