日本代表 2022.09.03

フランスW杯へ SO李承信の挑戦が在日ラグビー界へもたらすもの

[ 見明亨徳 ]
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フランスW杯へ SO李承信の挑戦が在日ラグビー界へもたらすもの
今年7月のフランス代表戦で日本代表の10番をつけ奮闘した李承信(撮影:松本かおり)


 9月2日、日本ラグビー協会は今秋の日本代表候補52名を発表した。まずはジャパン・フィフティーンとして10月1日からオーストラリアA代表と3試合。日本代表としてニュージーランド代表と国内で戦う。11月は欧州へ渡りイングランド代表、フランス代表に挑戦する。2023年のフランス・ワールドカップを1年後に控え、選手たちにとり重要なアピールの場になる。

 司令塔SOの争いもし烈だ。代表出場試合(CAP)70を誇る田村優(横浜キヤノンイーグルス)、ファンタジスタ山沢拓也(埼玉パナソニックワイルドナイツ、CAP4)、6月、7月のウルグアイ代表、フランス代表戦でデビューした李承信(リ・スンシン、コベルコ神戸スティーラーズ、CAP3)に中尾隼太(東芝ブレイブルーパス東京、CAP0)の4人だ。

 李(以下スンシン)は、ウルグアイ代表との第2戦(6月25日)、36-0と日本がリードする後半22分から山沢に代わりピッチに登場。2分後、味方のトライ後のコンバージョン(G)を決めて代表初得点をあげた(43-7で日本勝利)。7月2日のフランス代表との第1戦では10番を背負った。山沢の体調不良で急遽、先発し80分間をプレー、前半13-13のシーソーゲームを演出した。試合は後半突き放されて23-42で敗れた。第2戦も先発、前半を15-7で折り返す。15-13の後半25分に田村へ席を渡す。代表3試合、163分間で4G4PG20得点を記録した。

 スンシンは「代表に出場できたのは運もありました。(対フランス2試合目は)自分たちのプランを遂行して締まったゲームができた。思い切った判断ができた」。日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフも「頑張った。前に進んでいる」と評価を与えていた。

息子の代表試合を観戦した父・李東慶さん(上段中央、白髪・黒のシャツ)と長男・承記さん(隣、グレーのシャツ)

 ラグビーを始めたのは神戸朝鮮高-朝鮮大で楕円球と親しんだ父・東慶(トンギョン)さんの影響が大きい。母親、金英福(キム・ヨンボク)さんはスンシンが小学校6年の時にガンで逝去された。以後、父が3兄弟を育てた。長男・承記さん(スンギ、PRで大阪朝高-法大)、次兄・承爀さん(スンヒョ、大阪朝高-帝京大-三重ホンダヒート)とともに「大阪朝高で花園」が目的になった。

 東慶さんは承記さんらと代表3試合をすべて観戦した。「オモニ(母親)が幼い時に亡くなり、周りのいろんな方の協力があり、代表の舞台に立てたのは感慨深いものがあります。代表で成長したのはディフェンスの部分。天国のオモニが一番喜んでいます。ラグビーにあまり関心がなかった親族が日本代表のユニフォームを会場で購入して応援するなんてビックリ!」。承記さんも「年々、学生数が減少する中、在日社会にとって明るい良い影響を与えた」と弟を称えた。

 15人制の日本代表に入った朝鮮高校出身者として初めての選手だ。在日コリアンでは日本人名で数名いる。ハングル表記ではFL金正奎(キン・ショウケイ、現在・浦安Dロックス)が2016年5月のアジアラグビーチャンピオンシップ・香港戦で日本代表デビュー。一方、韓国からの留学生ではワールドカップ2007年フランス大会にSHで出場した金哲元(キム・チョルウォン、当時・近鉄ライナーズ)が初めてサクラのジャージーを着た。そしてまだ記憶に新しい2019年日本大会ではPR具智元(グ・ジウォン、当時はホンダヒート、現在はコベルコ神戸スティーラーズ)が雄たけびと愛くるしい笑顔で日本中から人気を集めた。

 2001年1月、兵庫県に生まれたスンシン。父、2人の兄の影響で兵庫県ラグビースクールに入ると楕円球を追いかけた。高校進学時、すでに中学ラグビー界で有名だった李は関西地区の強豪高校から誘われたが「兄たちと同じ在日コリアンとして花園へ行きたい」と大阪朝鮮高を選んだ。
 1年時、2016年度の花園をかけた大阪府第1地区大会決勝。東海大仰星高と対した。終盤まで仰星が12-10と2点のリード。朝高が最後の粘りでゴール前へ攻めPKを得る。FB1年生の李がPGを決めれば逆転サヨナラの場面。次兄で主将NO8承爀さんは「1年生に任せずフォワードがモールで取り切る」を選択、攻めるも敗れた。この場面、スンシンは8月に放送されたラジオNIKKEI「藤島大の 楕円球にみる夢」にゲスト出演した際に「兄に『狙えそう?』と聞かれたときにすごく遠く見えて、キックでこの人たちの人生が決まるんか、と。そこで萎縮してしまった。『ちょっと蹴れない』と言いました」と明かした。スンシンにとりラグビー人生で一番、悔しい試合という。
 その後、3年時に花園へ出場、2年生から高校日本代表に選出されて道を開いた。次兄と同じ帝京大に進学も2年時に退学し神戸へ加入した。2年目の2021年に副主将に抜擢されて名門・神戸のリーダーとしての成長も期待されている。

ラジオNIKKEIの「藤島大の 楕円球にみる夢」に出演した

 7月の代表活動期間を終えてつかの間の休息を楽しむも、周りは放っておかない。ラグビー中継のテレビ局J SPORTSのラグビー情報番組、先のラジオ番組や日本ラグビー協会のネット配信番組に呼ばれた。活字媒体の取材も受けた。「在日コリアンという小さなコミュニティーへの貢献」を口にしている。7月20日に母校、大阪朝高、8月19日は東京朝高を訪問し、後輩たちに話し練習を一緒にした。8月末、在日コリアン・ラガーマンの祭典「第11回在日コリアンラグビーフェスティバル」が、東京・小平市の朝鮮大学校グラウンドで開催された。スンシンと関係がある多くの在日ラガーマンが集まった。大阪、東京の朝高も参加した。

8月、東京朝高を訪問した(写真提供:東京朝鮮高ラグビー部)
後輩、東京朝高生に講演した(写真提供:東京朝鮮高ラグビー部)

 大阪で副主将を務めるNO8康英世(カン・ヨンセ)は先輩から大切な言葉をかけてもらった。「会議室で話を聞きました。先輩は『基本はラグビーを好きにならなあかん』と。僕らはそこの部分、オフ・ザ・フィールドの部分でまだラグビーにつぎ込んでいない。先輩みたいに生活でラグビーを好きにならないとダメと思いました。ジャパンになった先輩が『在日の自分が道を開いていく』と言っていた。後輩の僕らがついていかないといけない。花園に行く為に頑張る」

大阪朝高副将の康英世は「ラグビーを好きになる」を先輩に続き花園を目指す

 東京の主将SO金太仙(キム・テソン)は同じポジション。練習の指導が印象的だった。「全体練習でチームとしてどういうアタックをした方がいいのか。具体的にどうかというよりも自分たちがどうしたいかという大事な問いかけをしていただけた。フォワードがシェイプ(ユニット)でアタックするときにSOが立ち位置を工夫するとフォワードへの敵のプレッシャーを分散できる、と」。金はすでにこのアドバイスを実践している。

PGを成功、東京朝高主将の金太仙は試合でスンシンのアドバイスを実践している

 父・東慶さんも会場に姿を見せ子どもへの応援に対しお礼をのべるとともに後輩たちのプレーを見守っていた。

 スンシン兄弟と母方の従弟にあたるのが、リーグワンの浦安DロックスPR金廉(キム・リョム、大阪朝高-帝京大-NTTドコモレッドハリケーンズ)だ。5歳年下のスンシンとは代表活動を終えてから地元で会った。「スンシンは『フランス大会に出ます』と決意を話した。親戚、家族も応援する」

浦安Dロックスの金廉は従弟スンシンを応援する

 3歳年上、横浜キヤノンイーグルスPR安昌豪(アン・チャンホ、大阪朝高-明治大)は不思議な感覚だ。「スンシンを幼稚園の頃から知っています。あの小さかった子が日本の10番を背負っていると思うと感慨深いところがある」

 安と同期、朝鮮大からクボタスピアーズ船橋・東京ベイに進みトップリーグ最終年に新人賞を獲得したWTB/FB金秀隆(キム・スリュン)も励みになる。「率直にすごい! メディアに出ても自分のアイデンティティーを伝えている。自分もジャパンになるためにしっかり鍛えていきたいです」

幼稚園のスンシンを知るイーグルスの安昌豪(手前)。スピアーズの金秀隆(奥)は「負けないよう頑張る」

 今年30歳になった東芝ブレイブルーパス東京のPR金寛泰(キム・グァンテ。大阪朝高-関西学大)は「なるべくしてジャパンになった。高校選択時、そして大学を辞めた時も自分から道を選んで、その道に対して責任感を持って進んでいる」と評価した。

 李聖彰(リ・ソンチャン。東京朝高-帝京大-東芝)も嬉しい。「在日でラグビーをやっている後輩の学生たちもこういう先輩になりたい。その存在が目に見えるようになった」

 一方、プレーヤーとしてのスンシンを、東京朝高から帝京大へ進み現在は浦安DロックスのLO金嶺志(キム・リョンジ)が話す。「対戦して、ミスしてもうまいプレーができる。メンタルがぶれていない。ジャパンでもそれができています」

左からDロックスの金嶺志、ブレイブルーパスの李聖彰、金寛泰。「在日の学生の目標になる」
「日本の方も在日のスンシンを応援する。ラグビーの力」と東京朝高・呉昇哲監督

 呉昇哲(オ・スンチョル)東京朝高監督の言葉が良い。「学校に来てくれたスンシン、高校生にとって家族、お兄ちゃんの存在です。日本の10番を在日のスンシンが背負っている。すごいことじゃないですか。それを日本の方も応援してくれるラグビーの力を感じました」

 秋のテストマッチに向け、日本の10番をかけた争いが始まった。

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