コラム 2022.08.23

【ラグリパWest】7年目の夏。福岡県立浮羽究真館高校

[ 鎮 勝也 ]
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【ラグリパWest】7年目の夏。福岡県立浮羽究真館高校
7年目となる「浮羽ラグビーフェスティバル」の中心人物たち。浮羽究真館高校ラグビー部の永野聖也主将、同部プロモーション事業部の秋吉沙友里さん、吉瀬晋太郎監督(左から)



 今年も「フェス」ができた。

 正式には「浮羽ラグビーフェスティバル」。毎夏、福岡にある浮羽究真館のグラウンドで高校生たちが試合を繰り広げる。

 今年は8月5日から1週間続いた。集まった高校は過去最多の17。ラグビー用品を売るブースも出た。主将の永野聖也(せな)は日焼けした顔をほころばせる。
「午前と午後に試合ができて、いい経験になりました。これまで、コロナであまり試合ができなかったですから」
 永野は170センチ、95キロのフッカーだ。

 フェスを始めてから7回目の夏。きっかけは2016年4月の熊本地震だった。
「合宿に行っちゃダメという高校が出たと聞いて、始めてみました」
 吉瀬(きちぜ)晋太郎は振り返る。37歳。この浮羽究真館のOB監督である。

 学校は筑後地区の東、大分道の朝倉インターから10分ほどの所にある。高速を使えば、九州一円からの来校にそう造作はない。佐賀からは鳥栖工、熊本から九州学院、大分から玖珠美山(くすみやま)、本州からは山口が参加した。

「来てもらって、ありがたさと申し訳なさの両方を感じています。バスをチャーターするのもお金がかかるし、コロナの時代、保護者や学校の管理職の許可を得ないといけません」
 16のチームを吉瀬は思い遣る。一昨年は開催できず、昨年は途中で打ち切っている。

 吉瀬は165センチほどの背丈、丸刈り、焦げ茶色の肌はぱっと見、選手と変わらない。だが、埋没はしない。その鋭い瞳や締まった体は精悍さにあふれる。1000日間、山岳を踏破し続ける修行僧のようだ。

 吉瀬が保健・体育の教員として、母校に赴任したのは2015年。当時の選手数は単独が保てる15人ほどだった。半世紀前に創部されたチームは存続の危機に瀕していた。

 その状況下で、新入生全員に手紙を書いて、入部を呼びかけたり、ラグビーポールを埋める穴を自力で掘ろうとしたり、持ち前の行動力を発揮する。

 今の選手は倍以上の40人。遠隔地の部員のために、近くの温泉旅館と話をつけ、寮にした。成績はそれまで県8強が最高だったが、4強に押し上げる。中興の祖になる。

 吉瀬は大学時代も挑んでいた。一般入試で京産大に入学。大学選手権4強のチームでは、休日も自主練を重ねた。その結果、フルバックで公式戦に出場する。同期は山下裕史。神戸のプロップは日本代表キャップ51を持つ。

 吉瀬は大学卒業後、2年弱、住宅販売会社で働いた。トップセールスを叩き出す。その経験がアイデアになる。昨年は部内にプロモーション事業部を立ち上げた。代表的存在は2年生の秋吉沙友里(さゆり)だ。
「主にSNSを使った広報活動をしています。楽しいです。保護者さんから、見てるよ、と言ってもらえたり、やりがいを感じています」
 この事業に携わる部員は4人いる。

 吉瀬は秋吉の保健の授業を担当した。生徒を知るために、「夢は何?」と聞く。秋吉は、「芸能人のマネージャー」と答えた。
「なにか手伝ってあげたいと思いました」
 ここでの広報活動は、芸能関係の仕事についた時、「見せ方」として活きる。吉瀬は事業部とした理由も語る。
「会社っぽくていいかな、と」
 そういう茶目っ気もある。

 楕円球と関係のない生徒を取り込むのは、学校の発展をも考えてのことだ。今春の新入生は約120人。40人ほど定員割れを起こす。1907年(明治40)に旧制中学としてスタートした学校も、電車で郊外に行き、駅から時間がかかる立地など、人気は下降する。

 奮闘する吉瀬には追い風が吹く。この春、石藏慶典(よしのり)が戻って来た。部長として吉瀬をサポートする。吉瀬の高校時代の監督である。当時の校名は「浮羽」だった。

 長谷川寛太はこの7月から加わった。サッカー部の顧問であるが、キーパーを書道部から連れてきている状態。空き時間にはラグビー部への協力が可能だ。

 長谷川は26歳。長崎北陽台から帝京大に進み、コカ・コーラとサニックスに在籍した。プロップとしてのプレーは浮羽究真館と密な関係があるクラブチームのLeRIRO福岡で続ける。

 長門石(ながといし)健太は剣道部の顧問である。現在、部員はいない。
「朝練習で一緒に走ってくれます」
 吉瀬には感謝がある。長谷川は講師であるが、3人の専門教科は同じ保健・体育である。

 化学教員の柴田晴斗はケガ人対応など裏方に徹する。スカウトには佐々木隆太郎。トレーナーには梯誠剛(かけはし・せいごう)がいる。スタッフはそろう。

 新チームになってからの県大会は8強敗退。1月の新人戦は選抜出場を決めた修猷館に12−35。春季大会は東海大福岡に10−20だった。7月最後の週末は大分の久住(くじゅう)に行き、全国の強豪の胸を借りた。

 25分1本の試合は東海大仰星に0−24、御所実には7−12。東海大仰星は冬の全国大会優勝6回、歴代4位の記録を持つ。竹田寛行が率いる御所実は準優勝が4回ある。
「竹田先生は、現状でウチのA、と言って下さいましたが、多分、Bだと思います」
 5点差接戦にも吉瀬はうかれることはない。

 吉瀬は30歳で母校に戻って来た。その時、掲げたとてつもない目標がある。
<10年で高校ラグビー日本一>
 県内には東福岡というジャイアントがいる。冬の全国大会制覇は東海大仰星と同じ6回。その存在を知りながら、「言葉は現実化する」という一文を胸に秘めて生きてきた。

 2校間の開きは依然大きい。ただ、明らかなこともある。赴任して8年目。少なくともチームは復活し、その大目標に近づいてはいる。10年を越えたとしても、東福岡を倒し、全国に出れば、それは日本一にかなり近い。

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