【ラグリパWest】達観の域。嶋田直人 [横浜キヤノンイーグルス/フランカー]
受傷後の6月30日、嶋田直人は古都にいた。母校の京都工学院である。在学中の校名は「伏見工」だった。
横浜キヤノンイーグルスのフランカーは高校生たちにディフェンスを教える。
「常に左右の選手とコネクトしよう」
つながる大切さ。ラインを統括しようとする必要はない。立つ人間が両隣と意思疎通ができれば、それは全体に波及する。
嶋田にとっては気分を紛らわす意味もあったのだろう。3週間ほど前、桜のジャージーに手が届きかけていた。31の年で初めて袖を通すはずだった。
19日前、タックルに入った。右肩に痛みが走る。秩父宮のグラウンドを出た。エマージング ブロッサムズの一員として在日トンガ選手との試合(トンガサムライXV戦)に先発していた。海底火山の噴火などで甚大な被害を受けたトンガのためのチャリティーだった。嶋田が前半で退場したあと、ブロッサムズは31−12で勝利する。
6月13日、離脱が発表された。日本代表候補のNDS(National Development Squad)から去る。トンガとの戦い前には「日本代表に一番近い」との評価もあった。この一戦を軸に6月18日のウルグアイ戦のメンバーは決められる。キャップ対象試合だった。
「日本代表にチャレンジできる機会がケガでなくなりました。悔しく、残念な気持ちはありました。ただ、ラグビーにケガはつきもの。それも実力のうちです。強い選手はタックルを決めて、すぐに起き上がってきます」
嶋田は達観の域にいる。これまでも大きなケガをした。高3の春、右大腿骨を折った。
「今回より、あの時の方がショックでした。全治は半年、と言われました。何のためにこの学校を選んだのか、と思ったものです」
入学まで、母校は冬の全国大会での優勝が4回あった。日本一になりたかった。
その秋の89回目の全国大会府予選(2009年度)は決勝で京都成章に敗れる。
「ウォーター(給水係)をしていました。スコアは0−7だったと思います。全国に出られていたらプレーは可能でした」
絶望は18の年ですでに経験している。
同期は内田啓介。トンガとの戦いのあと、心配してLINEを送ってくれたりした。
「大丈夫か、キャップを取れてたんとちゃうか、と気遣ってくれました」
内田はスクラムハーフとして、筑波から埼玉(旧パナソニック)に進み、日本代表キャップを22持っている。
伏見工では、1年時、メンバー外ではあったが準優勝を経験する。87回大会の決勝は東福岡に7−12。嶋田は2年時も京都成章の後塵を拝した。
高校3年間の思い出を短く表す。
「しんどかった。すごく走りました。やま、かわ、ごりょう、でした」
東は伏見稲荷のある山の頂(いただき)へ。西は鴨川周りの2キロコースをぐるぐる。南は明治天皇の眠る桃山御陵への往復だった。
「鍛えてもらいました。それで今があります」
この年になり、母校への感謝は尽きない。
大学は立命館。保健・体育の教員免許取得のため、スポーツ健康科学部の一期生になる。4年時は12年ぶりに関西リーグを制した。50回目の大学選手権は1勝2敗で予選プール敗退。明治には12−10も、慶應と東海には22−26、35−42だった。同期は横浜でもチームメイトの庭井祐輔。日本代表キャップ10を持つフッカーである。
人生の大きな部分を占めるラグビーをスタートさせたのは中学入学後。勧修である。
「幼なじみに誘われました」
中3時にも左の鎖骨を折った。京都工学院の監督である大島淳史(あつし)はケガ明けの努力を知っている。
「嶋田は中学も高校も最後に大きなケガをしています。でも乗り越えて来ました」
本人には照れがある。
「ラグビーはおすすめできません」
プロとして生きているのに冗談が出る。
キヤノンには教員免許を取得して入った。このリーグワン元年で9シーズン目を終えた。チームは6位。嶋田はリーグ戦全15試合(ひとつの不戦勝を除く)にオープンサイドのフランカーとして先発した。
好調の要因は2つの「見直し」。181センチ、99キロの体とタックルである。
「体重はこれまでキープでしたが、今回は4キロ増量させて。トレーニングや食事で落としました」
筋肉は大きく、強くなる。脂肪は落ちるため、スピードには影響ない。
タックルはアシスタントコーチの佐々木隆道と取り組んだ。
「セットの時は相手の前に立つ。しっかり、まっすぐ当たる。倒れやすいヒザの裏を素早く取る、とかをもう一度丁寧にやりました」
佐々木は同じバックロー出身で日本代表キャップを13得ている。
「結局、特別なことは何もやっていません。当たり前のことを当たり前にやっただけです。タックルに関しては、頭では理解していても、試合ではできていませんでした」
基本の大切さを改めて思い知る。そのことがNDS入りにつながった。このスコッドに召集されたのは創設されたばかりの2017年。それ以来5年ぶり2回目になる。
失意を昇華して、嶋田は先を見る。
「ケガをしっかり直して、キヤノンでもう一度いいパフォーマンスをする。そうすればまたスコッドに呼んでもらえるかもしれません。でも、まずは今いるチームです」
大島は言う。
「彼は遅咲きですから、ハートもプレーも間違いないです」
大器は晩成する。その言葉を赤いジャージーを着続けて、現実のものとしたい。