コラム 2022.05.26
【ラグリパWest】部長として還る。石藏慶典 [福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部]

【ラグリパWest】部長として還る。石藏慶典 [福岡県立浮羽究真館高校ラグビー部]

[ 鎮 勝也 ]



 浮羽は赴任3校目だった。ラグビー部ができたのは1965年(昭和40)。吉瀬の入学は2001年である。石藏の4年目。試合直前、士気を高めるため、石藏がバッグを持って、選手たちにタックルを入らせた。吉瀬もそれを受け継ぐ。今の高校生たちはそれを「吉瀬タックル」と呼んだ。

 吉瀬は卒業後、一般入試で京産大に進んだ。監督の大西健の猛練習にも音を上げず、無名校、167センチと小さなハンディをものともせず、センターで公式戦出場を果たす。リーグワンの神戸のプロップ、山下裕史は同期。日本代表キャップは51を数える。

 2015年、吉瀬は母校に赴任する。それまで、県大会8強が最高位だったチームを熱心な指導と行動で4強に押し上げた。3年前の新人戦と春季大会である。

 ただ、5月22日にあった春季大会では8強戦で東海大福岡に10−20で敗れた。その上には東福岡がいる。冬の全国大会出場は県内最多の32回。優勝6回は歴代4位の記録だ。「10年で高校ラグビー日本一」をうたい就任した吉瀬にとって、東海大福岡はまだしも、東福岡とは相当な開きはある。その距離を縮める一手に石藏の着任はなってくる。

 石藏は言う。
「シンタローを男にしたい」
 常に言葉をかけている。
「最後はおまえが決める。先生が言うけん、やない」
 練習メニューからメンバー選びなど現場のことはすべて吉瀬に任せている。

 石藏の仕事はラグビーだけにとどまらない。浮羽究真館は1907年(明治40)に創立された全日制の共学普通科校である。その歴史ある学校の生徒育成部長として、全体のこともまた考えていかなければならない。
「定員割れがあります。1年生の定員は160人でしたが、入学は123人でした」
 最寄り駅はJRの筑後吉井。久留米から40分ほどかかる。駅からは徒歩で約30分。学区制を撤廃した県内では、通学に不便で魅力のない学校は敬遠される。

 その魅力を増すひとつの手段として吉瀬は今年2月、社会人ラグビーのクラブ「LeRIRO福岡」を仲間と立ち上げた。そこにはラグビー部の強化はもちろん、学校の認知拡大、街おこしなども含まれる。

「ラグビー部は地域に元気を与えられる存在になってほしいですね」
 石藏はこの地を愛する。
「水と空気と人のよさ。素晴らしいです」
 福岡市内出身ながら、妻とはここで出会い、子は2人を成した。このよき地に中学生たちを呼び込むためにも、教え子の指導者とともにまずはラグビーを軸に注力していく。


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