【ラグリパWest】世界平和のためのラグビー。吉本大悟 [東海大大阪仰星/SO]
「僕がラグビーを始めてから、文字くんには熱心に教えてもらいました。去年の夏には一緒にお墓参りにも行きました」
父は吉本が生まれた7か月後に亡くなった。病名はがん。39歳だった。
「威勢がよくて、生徒の面倒見がよかったね」
松林拓は忘れない。京都工学院の前監督は若かりし頃、嘉楽(からく)で中学教員として父と同僚だった。松林は2つ下。同じ伏見工で「泣き虫先生」こと山口良治の薫陶を受ける。父はフランカー。天理大を出た。
父のことは覚えていない。永遠の別れは物心がつく前だった。その代わり、縁(えにし)に連なる人たちが父になり代わってくれる。
「優勝してくれてうれしかった。こっちから電話をかけたよ。先生が亡くなった時、大悟はまだちっこい、ちっこい子やった。ラグビーを始めてくれた時もうれしかったもん」
松林はこの2月末で55歳。思いがこもる。
吉本が競技を始めたのは幼稚園。京都西ラグビースクールだった。
「記憶がある頃からずっとラグビーボールを触っていた感じがしています」
七条中の監督である古川辰行が母校である仰星をすすめた。この恩師もまた父に下鴨中で教えを受けた。ラグビーは縁が重なるスポーツでもある。
「練習に参加した時、みんなが教えてくれました。ひとつになっている感じで、こんな高校生たちがおるんや、と感動しました」
その仰星で頂点を極めた。花園での活躍が評価され高校日本代表候補にも選ばれる。
「姉の代表合宿参加を見ていたらうらやましい。自分もそうなりたい、と思わせてくれます」
2つ上の姉・芽以(めい)は追手門学院大のロック。今月、女子7人制日本代表の予備軍である「SDS」の合宿に参加した。姉の軌跡を追いかけたい。
卒業後は京産大に進む。先月の大学選手権では4強に入った。10回目の優勝を果たす帝京を30−37と追い詰める。
「厳しい環境に身を置いて、頑張りたいです」
監督の廣瀬佳司は同じスタンドオフ出身。日本代表キャップ40を持つ。
「指導していただくのが楽しみです」
期待に胸がふくらむ。
吉本の尊敬する人物は3人。人としてはマンデラ、ラグビーでは文字、そしてスポーツ選手としては柔道の大野将平だ。
「大野さんは努力する姿勢や表情が素晴らしいです」
大野は73キロ級で五輪2大会連続金メダル。リオデジャネイロ、東京で躍動した。
その3人を仰ぎ見て生きる。自分のプレーで、まずはスタジアムでの世界平和を実現させるために…。