【コラム】強いクボタの「当たり前」を作った人たち。ゴッちゃん、コーチとして次章へ
一つは職場だ。クボタに入って本当によかったと思うのは職場の人を思う時だと言う。いわゆるAチームでプレーするばかりではなかった後藤の試合を、歴代の上司が見にきてくれるのがありがたかった。心を励ましてくれた。わざわざBチームやCチームの試合を選んで足を運んでくれた。そして翌日朝に挨拶にいくと、試合結果に関わらず、「体は大丈夫か」と後藤自身のことを気遣う言葉が返ってきた。
「そんな上司の方ばかり。本当に恵まれていました。私は、自分が過ごした企業スポーツのあり方は好きです。試合に出ることで恩返しがしたいと思っていました」
もう一つの支えは、ある人がくれた助言だった。「嫁、でしたかね」ととぼける。強大なライバルたちを意識して葛藤していた時、「人なんか見ても、しゃあないやろ」と言われたことが腑に落ちた。自問自答できるようになった。試合でしんどい時間帯、もいっかい立ち上がるんは人か、自分か。ウエイトで上げるか落ちるかの際、シャフトを上げるんは人か、自分か。休みの日に一人でグラウンド行って体動かすんは人か、自分か。
「全部、自分やろ。相手なんか見んなや」
矢印を自分に向け続けていたら、また気持ちと体が動き始めた。
振り返れば最後の1年間、トップチームでの出場はなかった。常に「メンバー外」の一員として感じていたのは、若手選手たちの貢献ぶりだ。週あたまのメンバー発表で自分の名前が呼ばれなかった選手たちは、すぐさま「ボルツ」(bolts/船を構成する部品のこと。クボタではメンバー外を重要な存在として昨季はそう呼んだ)となって、出場メンバーのサポートに回る。その週の対戦チームの特徴をコピーして、練習のシミュレーションの精度をできるだけ上げるよう手を尽くす。試合前日にはボルツだけが最も強度の高い練習をこなす。しんどい時に人間は出る。後藤は自らも喘ぎながら、試合前日に歯を食いしばれる後輩たちをみて、「こいつらすげえ」と思った。
かつての自分を思い出す。我、意地、自尊心か。それは深いところで競技への愛情とつながっている気もする。かつての自分は、それが悔しさとなって溢れ辛抱ができなかった。後輩たちはのみ込んで、ポジティブな何かに変換して発散している。「人として成長するのはボルツのほうだと思う」。
降格も味わったチームが、少しずつ踏みしめ上ってきた舞台の高さは、試合に出ない選手たちの姿に最もよく表れていた。
2021年春。チーム幹部に呼ばれて1対1で現役引退を勧められた後藤は、「そりゃ、そうですよね」と和やかに話し、お礼を述べ、淡々と受け止めてクラブハウスを出てきた。13年、日本最高峰のリーグでの挑戦がその時に終わった。あっけないもんだと思う。しかし自宅に戻り、引退を報告すると急に込み上げて気持ちが止まらなくなった。自分の中にもまだ、溢れるものがあったんだと意外で、うれしかった。
11月のプレシーズンマッチ、昨季初4強の注目チーム、クボタは東芝に33-43で敗れた。ホームの練習場での開催だったため、試合後は予定されていたファミリーデーで楽しんだ。選手たちが仮装して場を盛り上げる中、後藤らコーチ陣の姿は2階のオフィスに消えている。
後藤満久はアシスタントコーチになって、リーグワンのトップを見据えるチームを支える立場になった。担当エリアはスクラム。相変わらず誰よりも、長くしつこく映像を見ている。よく選手たちと話す。
「やってくれると思います。私は選手を信じてるんで、もう見てるだけです」
第2節、パンデミックの影響で主力のHOマルコム・マークスはいない。選手の厚みを、クボタの上がってきた階段の高みを見せる絶好の機会だ。
PROFILE
ごとう・みつひさ/クボタスピアーズ アシスタントコーチ/1985年4月5日生まれ、36歳。関西創価-京都産業大-クボタスピアーズ。現役時代のサイズは174センチ、99キロ。家族は妻・亜沙子さん。