SH鈴村淳史[筑波大]が日本一を目指す理由。日体大との選手権争いに挑む。
鈴村は名古屋ラグビースクールで小学2年からラグビーを始めた。早大ラグビー部のSH河村謙尚は同期にあたる。高校は中部大春日丘に進み、1年時から9番を背負った。
3年時は3回戦で報徳学園に5―12で惜しくも敗れ、初の8強入りを逃した。鈴村は1年限定で、スタンドオフで出場した。「スタンドにしか見えない景色を見られたのは、ハーフに生きてます。正直、当時はハーフでやりたい気持ちもありましたけど、宮地(真)先生があえて使ってくれたことに感謝しています」。
同ポジションの先輩、杉山優平(現東芝)に憧れ筑波大に入学。1年時からその杉山の控えに入り、対抗戦デビューを果たした。不運が襲ったのはその直後だ。
成蹊大戦に出場した翌日の日大戦(ジュニア戦)で頸椎を損傷。約1年のリハビリを経て復帰も、11月上旬の成蹊大戦にリザーブで出場して、それから一度ラグビー部を離れた。
「左手の痺れが残っていて、上手くパスができなかったり、タックルに入れなかった。ラグビーがうまくいかず、考えこんでしまった」
3か月で戻って来られたのは、ラグビーへの思いが消えなかったからだ。
「ラグビーをしていない自分を客観視するとおかしくなってきて、ラグビーをやってこそ鈴村淳史なんだと。ラグビーしている姿をイメージできていたので、また始められました」
3年時は対抗戦全試合に先発。完全復活を果たした。最後の対抗戦となる日体大戦では主将のFB松永貫汰が鼻骨を骨折して控えに回っているから、4年生の鈴村にかかる責任も大きい。
「立教戦のあとに日本一への情熱が足りていないと4年生で話し合いました。(日体大戦は)もう一度、意思統一した4年生がどれだけ引っ張れるかだと思っています」
鈴村にとって選手権の決勝の舞台で戦いたい思いには、特別な理由がある。
「最近まで、危ないスポーツだからやめなさいとしょっちゅう電話をかけてくるくらい心配していたおばあちゃんが見に行きたいと言ってくれました。まだ自分のプレーを一度も見たことがないんです。コロナでなかなか現地で見るのは難しいから、地上波で見られる決勝戦に駒を進めないと」
鈴村は大学を最後に、ラグビーを終える。祖母に見せる最初で最後のチャンスを逃したくない。ここで負けるわけにはいかない。