【ラグリパWest】感謝を胸に。 田村魁世 [同志社大 共同主将/スクラムハーフ]
スクラムハーフに戻った最後の関西リーグ、2戦目の近大戦でつまずく。10−24。11月6日の京産大戦も19−22で敗北。優勝戦線に残るかどうかの大一番だった。
3勝2敗、勝ち点は16となり、首位の京産大とは7差の4位に沈む。田村はこの試合、肩を痛め、前半21分に退場している。
ヘッドコーチの伊藤紀晶は振り返る。
「田村にはチームに対して常に声をかけ、その言葉を浸透させる力があります。彼の退場でその部分がなくなった。チームの損失としては大きかったと思います」
田村の代わりに出たのは1級下の新和田(しんわだ)錬である。
「レンは速さなどそのスペックは高い。僕はコミュニケーション能力とリーダーシップがあるから出ているみたいなものです。レンがいたから、あそこまで競ったと思います」
下級生を評価でき、謝辞が出る。
11月20日、同志社は最下位8位の関西学院との対戦が予定されている。京産大戦後に伊藤は話している。
「ケガの内容がどうあれ、田村は関学戦は休ませるつもりです」
関西の大学選手権出場枠は3から4に増えた。同志社の出場は決定的。最終戦の天理との勝敗の影響はおそらく受けない。
「天理との試合は出る気でいます。そこに合わせて調整するつもりです。自分にとってはラストシーズンであり、関西リーグは最終戦。肩が外れてもやりたい」
熱がほとばしる。長い教育期間を経て、社会に巣立つ。社会人でも競技は続けるが、納得した形で大学ラグビーを終えたい。
楕円球を持ったのは小1から。父は経験者ではないが、ラグビーが好きだった。鎌倉から中学は横浜にラグビースクールを移る。地元の桐蔭学園に進学。1年から公式戦出場。3年間、花園の芝を踏む。3年時の97回全国大会は4強戦で大阪桐蔭に7−12で敗れた。
母には3年間、毎朝、鎌倉の自宅から藤沢まで車で送ってもらった。朝練習のためである。小田急、東急を乗り継ぎ登校していた。
「すごいことです。母には感謝してもしきれません」
弁当を作るため、母は4時起きだった。帰りも藤沢まで迎えに来てくれる。会社員の父は神戸に単身赴任の時期。ワンオペの母の愛を感じながら、紺グレの一員になる。
「大学の4年間、めちゃめちゃ充実していました。同期はいいメンバーがそろっています。ふうと、おとや、稲吉…。恵まれました。同志社に来てよかったと思います」
フルバックの山口楓斗、ナンバーエイトの木原音弥、ウイングの稲吉渓太の名が挙がる。
その仲間たちと、周囲への謝意をはっきりした形に変えたい。22歳の集大成である。