【ラグリパWest】恩師の『楽志』を胸に秘め。大内亮助 [元京産大、ワールドFWバックファイブ]
大内は1年から公式戦に出場する。関西リーグは2、1、1、3位。大畑を主将に抱いた2年時のチームはもっとも日本一に近かった。34回目の大学選手権で4強敗退。優勝する関東学院に38−46と8点差だった。
社会人はいくつかの誘いがある中、ワールドを選ぶ。
「僕はあまのじゃくの部分があるのか、神戸製鋼を倒せるところに行きたかったのです」
マリンブルーのジャージーは大内が4年時の1999年度、52回目の社会人大会(リーグワンの前身)で準優勝。7連覇実績のある神戸製鋼に27−36。頂点が迫っていた。
2003年から始まったトップリーグでは4季を過ごす。そして、下部落ち。2009年の3月、実質的な廃部が決まる。
「ショックでした。続けたい気持ちはあったけど、実力が伴いませんでした」
32になる年。受け皿となったクラブチームの六甲クラブで競技は続けた。
今は週末に3つの顔を持つ。宝塚ラグビースクールの指導員。企業が運営するラグビー教室で小中の2クラスを教える。そして個人トレーナー。土日の午前は宝塚。午後は土曜が堺、日曜はトレーナーである。
「今のトレンドはラインの間に入ってラックを作ること。それもいいけれど、ボールを持つ手がゆるゆるなら、はたかれたり、取られたりします。しっかり当たることも大事です」
否定はしない。アクセスはいくつもあることを知っている。自分がその子やチームに最良と思うやり方を落とし込む。トップレベルのラグビーを大学と社会人で正選手として向き合ってきた経験は大きい。
「コーチってバランスが難しい。楽しさと勝つことの両立ですね。試合は勝たないとおもしろくない。でも、小さいうちからの勝利至上主義もどうなのかなあ、と思います」
胸に秘めるのは『楽志』(らくし)。大学時代の恩師、大西健の座右の銘である。
「いい言葉だと思います」
この言葉は大西に師と仰ぐ叡南俊照から贈られた。滋賀・比叡山にある延暦寺で千日回峰などの荒行を乗り越えた高僧である。
苦しさもつらさも感じながら、志(こころざし)を楽しむ。その意味が本当にわかる年になってきた。人としての成熟から来るコーチングがそこにはある。