タックルマン石塚武生の青春日記④
鬼のようなボール磨き、
“しぼり”でも気合の掛け声。
いつだって全力投球
早稲田ラグビー部はグラウンド内ではフェアネスを第一としていた。上級生も下級生も、ない。ただ、1年生にはグラウンド外での「シゴト」があった。
練習の2時間くらい前から、部室掃除、グラウンド整備などのシゴトが始まる。石塚さんはボール係だった。ボール磨きは練習後にやった。当時のラグビーボールはこげ茶色の革製。泥を落とし、乾いたラグビーボールに水をつけ、顔が映る鏡のようになるまで、ナイロン系のストッキングでピカピカに磨き上げなければならない。
筆者の母校である福岡・修猷館高校から早大に進んだスタンドオフ、猪又昭さんは石塚さんの同期だった。いま69歳。猪又さんもまた、ボール係をしたことがあった。
「ワセダのボールはいつも、きれいだったね。顔が映るまで磨けって言われていた。ははは。顔が映るわけがないけどね。ちょっと大げさたい、それは。ありえんよ。でも、ボーっと顔の影っぽくは映るように磨いていたね」
ボールが汚いと、練習後の“しぼり”となることもあった。しぼりとは、よくいえば早大伝統の追加練習、悪く言えば、下級生へのバツ練習だった。語源は、ゾウキンをしぼって水分を出すよう、体力をしぼりとるからだろう。「グランドを回れ!」。上級生の短い言葉を合図に、下級生がいっせいにグランドを回り始める。
そのグラウンド走からキックダッシュ、ヘッドスピード(3人でボールをパスしながらゴールまで走る練習)、セービング、タックル…。筆者も思い出すだけで、胃がキリキリと痛くなる。とくに走力がない部員にとっては地獄だった。
猪又さんは50年前の記憶をたどる。石塚さんのボール磨きの光景が浮かび上がった。
「石塚のそれはすごかったよ。鬼のように磨きよった」
当時の<1年生部員の生活(石塚武生の場合)>というユーモラスな記述がラグビーノートにある。同じような体験をしている筆者としては、涙なくして読めなかった。
起床 7:00(1年生は10分前起き、起床の準備)
*起床の合図はマネジャーの近所まで響き渡る笛である。
体操 武蔵関公園(一列に並んで上級生にオハヨウゴザイマスのあいさつ)
*パスの練習(その時、ボールのチェックが上級生からあり、1年生はハラハラドキドキする。これが1回目の精神的プレッシャーである。朝から神経の使いっぱなしなのだ)
朝食 ゴハン 生たまご みそ汁
朝寝 昨夜までの「あしたは授業に出よう」という気持ちは朝と当時に見事になくなり、少しでもからだを休めようとベッドに入り、すぐに眠りに落ちるから、人とはオソロシイ。
昼食 11:30 めでたく二度目の起床。目覚まし時計もなく、これは11時半頃になると目が覚めるからフシギなものだ。きょうの昼は何にしようかなと考える必要はない。ワンパターン。うどん中心の食事だ。うどんにモチ4つの力うどんにライス大盛か、たまごとじうどんの大盛にライス大盛。こんな調子だ。
12:00 グラウンドに向かう。2時30分の練習開始であるが、たのしい仕事が待っている。部室そうじ、ボールみがき、グラウンド整備、ライン引きなど。1年生部員が少なかったら大変なのだ。時々、1年生同士で口げんかが勃発する。
例えば、部室そうじは大変である。おせじでもきれいだとは言えない部室を2~3度はいて、ほこりがなくなるようにする。窓のサンまで丁寧にふき、先輩たちのスパイクの底についた泥を落としてロッカーの前にきちんと並べる。最後にほこりがたたぬよう水を適度にまくのがポイントである。水の量は多すぎてはだめ、少なすぎてはだめ、職人技のごとき水まきの神経の使いようだ。
13:30 練習準備が整う。そろそろ上級生が顔を出す頃になると、我々1年生部員はグラウンドに出る。グラウンドの入り口にあるボードのところに身をひそめる。何か重苦しいものを感じる。そうやって、2年生がグラウンドに出てくるのをボードのすきまからのぞきながらじっと待つのである。
14:00 3年生、4年生も、1人、2人とグラウンドに出てくる。もう我々1年生は
ウォーミングアップができている。さあ、はじまります。早大ラグビー部独特の練習前の練習です。ヘッドスピード、フィールディング、セービングをこなす。ややバテぎみ。雨の日なんかは、練習前の練習でジャージはもう、ドロドロとなる。
14:30 キャプテンの笛と同時に全員が集まり、きょう一日の練習目標がおごそかに発表される。全員の気合充実。全員気持ちをひとつにする。
17:30 練習終了。ポジションごとのグループ練習が始まる頃、1~2年生がまたまた、大きなプレッシャーに包まれる。練習後の練習、“しぼり”があるかもしれないのだ。
18:30 ボール磨き。風呂。この時間が、1年生部員でいろいろと話し合える時間である。練習のきつかったこと、笑い話に花が咲くこともある。ぐちをこぼすのはこの時である。風呂といっても、湯ぶねにきたない湯が10センチくらいしかなく、からだの汚れを洗い落とすだけで精いっぱい。ああ肩までゆっくりつかりたいと思うのである。
19:30 夕食。つめたいおかず、ゴハン、みそ汁。もうゆっくり食事をするというより、めんどくさく、ハシをやっとで動かして腹にゴハンをつめ込むという感じだ。
猪又さんの述懐。
「きついだけの、単調な毎日やったねえ。特に“しぼり”のプレッシャーはイヤだった。練習後はいつも、陰湿な感じというか、鉛のような重い雰囲気が漂ってね」
刹那、上級生がグラウンドの角に立っている赤黒のワセダの旗にぶらさがっている銀色の笛をおもむろに吹き、“しぼり”の開始を告げる。下級生がダーッと集まり、まずはグラウンド周りを走り出す。1周300メートルぐらいか。暗闇の中、何周も何周も走る。星空を見上げながら。「いいぞ」と言われるまで。当時は時折、白いもやもやとした光化学スモッグがあった。苦しくて、倒れる下級生が必ずいた。何人かの1年生は退部していった。
「石塚は、旗を倒していくったい」と、猪又さんは笑った。
「あいつは声をガーと出して、トップで走っていくんや。(グラウンド四隅に立つ)旗ぎりぎりを回って、手で倒していく。そうそう、気合の掛け声出して、いつも先頭だったよ」
何事にも全力投球—。どんなに理不尽でも、どんなに厳しい練習内容だろうと、力を抜くことはなかった。それが石塚さんの流儀だった。
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