【コラム】限られて、なお。「3-6」から半世紀。
1968年の日本代表のニュージーランド(NZ)遠征と、1971年5月~8月のブリテイッシュ&アイリッシュ・ライオンズによる同国ツアーの共通の対戦相手のスコアや内容を抽出するのも忘れない。対ニュージーランド大学選抜はジャパンが16ー25、ライオンズは27ー6。帰国後のコーチの発言も新聞で追った。オールブラックスに「FBまたは WTBのカウンター・アタックを学んだ」。それは3年前にジャパンがNZでたたえられた攻撃法だ。そこで「このたびの全日本も大いに活用する必要があろう。(略)また逆にイングランドとしてはこれを使うかもしれないから十分注意」と記している。花園での第1戦、ジャパンは自陣深くからカウンターでつないでトライを奪った。
いよいよラグビーの母国は日本へやってくる。卒業生を含む全早稲田大学(英語ではワセダ・ユニバーシティー・パスト&プレゼントと表記された)とのツアー初戦は56ー4の大勝だった。大西監督は、この日の攻防をジャパンの作戦決定の参考とするつもりだったが、雨中の一方的な展開にイングランドが「スタンダードな戦術」しか用いず、それは「大きな誤算であった」。
そして、だからこそ、これまでの「情報収集と仮説構築」がいきた。全早稲田戦での攻め方と、そこでは試さなかったが「予想されるやり方」を切り分けて選手に示した。前者が5通り、後者は3通りだった。
19ー27。 3ー6。ふたつの「テストマッチ」のスコアである。ガーディアン紙の見出しは「ジャパンがイングランドを出来のよくない生徒にした」。タイムズ紙の元ウェールズ代表FBのヴィヴィアン・ジェンキンス記者は「タイミングのいいパスでマークを外し、考えられないポジションから攻撃し、イングランドをしばしばパニックに状態に追い込んだ」と書いた。
1971年。9月18日にカップヌードルが世に出ている。遠い昔だ。ラグビーは変わった。ただし「できることをすべてする」コーチの情熱と態度は時代を超える。新しいシーズンもまた。