【ラグリパWest】部の宝、中1生は9人。六甲学院 [兵庫県]
六甲学院は中高一貫の男子校である。
学校へは急峻な六甲の山道を登る。疲れとの引き換えは絶景だ。青く光る大阪湾と沿岸の街々が眼の下に広がる。
生物教員の山口紘史(こうじ)は話す。
「ハルカスも見えます」
日本一のビルも視認できる。300メートルの高さで大阪の天王寺にそびえる。
学校創立は戦前の1937年(昭和12)。この神戸の名門進学校にもラグビー部はある。今春、新入生の入部は9人。中学の部員数は19となり、メインの12人制を単独チームで戦える。
ラグビー部監督は安達英二である。
「うれしいです。こんなに入ってきてくれて。普通は3、4人。多くても6人くらいです」
保健・体育の教員でもある安達は今年、その中1の担任になった。
一学年は4クラス。生徒数は180ほど。その中の約5パーセントが楕円球に興味を持ってくれた。山口は顧問として安達を補佐する。世界史を教える置村公男も同様である。
安達が受け持つC組には、初心者の溝上歩武(みぞうえ・あゆむ)がいる。
「ラグビーの体験にふらっと行ったら、先輩がパスなんかを丁寧に教えてくれました」
小5の時に学校紹介のイベントで訪れた。入試を突破すれば、入部を決めていた。
「本格的にやるスポーツはラグビーが初めてです。チーム内で、こう攻めようよ、とか言い合うのが楽しいです」
溝上はフォワードに組み込まれる。
そのクラスメイトは前田隼佑(しゅんすけ)と小髙弘太郎。C組以外の6人は藤原笙太郎、中戸川直道、徳田文隆、藤峰隼人(はやと)、古田海太(みひろ)、高田蒼大(たかた・そうた)だ。経験者は4人。藤原は甲子園、徳田は尼崎、古田は芦屋、高田は西神戸のラグビースクール出身である。
経験者の藤原はセンターを任される。
「思ったより人数が多くて安心しています」
学校では生徒の自主性を重んじ、強引な部活動への勧誘を禁じている。その状況下でも9人が集まった。その理由を分析する。
「たまたまもありますが、ワールドカップの影響もあると思います」
2年前、日本代表は自国開催で初の8強に入っている。
通常の練習は週3日。火、木、土曜に11人の高校生と一緒に行われる。高3は県民大会(春季大会)で引退した。15人に満たないため、近隣の灘と合同を組んでいる。
中学は8月8日、単独で初の対外試合に臨む。岡山県寄りのたつの市に遠征し、姫路ラグビースクールと戦う。15分を3本。トライ数は4−4と引き分けた。3年生主将の竹村凜太郎はフッカーとして出場する。
「1年生がたくさん入ってきてくれて、単独でチームの力を測ることができました」
汗をしたたらせながら9人に感謝した。
六甲学院にラグビー部ができたのは1981年。今年、創部40周年を迎える。
「高校は県民大会で3位。中学は近畿大会に出場したことがあります」
そう説明する安達は1998年、広島大から新卒赴任する。神戸高で競技を始め、現役時代はロックなどをこなした。
学校はフランシスコ・ザビエルで有名なイエズス会が設立した。ザビエルは室町時代の1549年、日本にキリスト教を伝えた。イエズス会は大学では上智、高校では栄光学園、広島学院、上智福岡などを作っている。
安達は進路について解説する。
「京阪神の国公立志向が強いですね」
上智への推薦はあるが、高3生は京大、阪大、神大など地元を目指す。2020年度はそれぞれ20、17、14人が合格した。
六甲学院をはじめ、阪神間には灘、甲陽学院、甲南、関西学院など旧制中学を祖とする私立校が多い。この地域は神戸が横浜と並び開港場となった明治維新で一気に開けた。大阪で事業をして、風光明媚な芦屋や西宮で暮らす。それが成功した商売人の典型になる。その子弟の多くは、これらの学校に通った。
六甲学院にラグビーを作った石光(いしみつ)一郎もここのOBだ。卒業後は上智に進む。出版社勤務や米国留学を経て、1977年に英語教員として母校に帰る。
自身と同じ教員になった教え子は山本正樹。筑波大でプロップとしてレギュラーになり、現在は兵庫工の監督をつとめる。妻の恵美は市立尼崎のラグビー部部長である。
石光は2008年、還暦を期に退職した。今でもチームを見るまなざしは柔らかい。高校の合同にも理解を示す。
「単独を希望するけれど、合同もサポートします。どんな子供でも楽しめる機会が持てることが最優先だと思っている」
石光は大学で競技を始め、神戸に戻ってからはクラブチームの六甲クラブに入った。現役時代はフルバックなどをこなした。
「日本は母校愛や自社愛が強い。そこにとらわれすぎると自由な発想が出てこない。六甲クラブのように、いろんな境涯の人が集まる形が高校にあってもいいと思うよ」
穏やかな創始者を持つ幸せ。9人の中1を含む六甲学院の部員たちは、のびのびとラグビーに興じられる環境がある。