コラム 2021.07.16

【コラム】 1秒でも早く

[ 野村周平 ]
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【コラム】 1秒でも早く
6月12日、日本代表強化試合の会場となったエコパスタジアムで「RED SEAT」プロジェクトが行われた

 イタリアの優勝で幕を閉じたサッカーの欧州選手権。デンマークのMFエリクセンが試合中、突如倒れた映像が目に焼き付いている。仲間たちやサポーターが必死に声をかけ、医療スタッフによる心臓マッサージとAED(自動体外式除細動器)で一命をとりとめた。改めて、スポーツ現場での安全性確保の重要性が認知されただろう。

 同じ6月12日、静岡・エコパスタジアムであったラグビー日本代表とサンウルブズの強化試合ではある実証実験が行われていた。

 プロジェクト名は「RED SEAT」。競技場内で観客が心停止で倒れた場合、どうやっていち早くAEDを届けるか、という試みだ。考案したのはまだ10代の学生たちだった。

 約1万8千人が訪れたエコパで、この秋からスタンフォード大学に進学する八木新之助さんと京都府立医科大1年の田中大悟さんは、AEDの模型を持って客席を走り回っていた。

八木新之助さん(左)と田中大悟さん

「5分過ぎている。遅いので対策が必要ですね」

 日本AED財団の本間洋輔医師がストップウオッチを読み上げる。赤い布をかぶせた座席に座った観客が、客席で倒れた人を見つけてからAEDを持ってくるまでにどれくらいの時間かかるのか、という測定の最中だった。

 このプロジェクトは、たとえば400人ほどのブロックに一つ、客席全体を見回せる後方辺りにレッドシートを設けることから始まる。その座席に座る人を「レッドシーター」と呼び、事前に会場内で最も近いAEDの場所を把握しておいてもらう。誰かが倒れたら、レッドシーターがすぐ反応して、AEDを届けるという仕組みだ。

 AEDによる除細動が1分遅れるたびに、倒れた人の救命率は10%ずつ下がるという。「5分以内に電気ショックを与えるためには、できれば倒れてから3分以内にAEDを傷病者まで持っていきたい」と本間さんは言う。

 人の生命に関わるプロジェクトだが、重苦しさはあまりない。レッドシーターは試合前に会場で「ヒーロー」として紹介され、レッドシートを買った観客には次の試合の割引券などの特典がつくーー。アイデア段階ではあるが、楽しみながら観客一人ひとりがスポーツ現場の安全確保に関われるようになれば、スポーツ観戦はより豊かなものになると思う。

ミーティングをするスタッフたち

 八木さんたちは兵庫・甲陽学院高2年時に若者がヘルスケアの課題解決を提案する「inochi gakusei プロジェクト」に参加。「心臓突然死をなくす」という課題と向き合って、スポーツ観戦者への安全対策がほとんどない現状に気付いた。

 医療従事者らへの聞き取りを続ける中で、AED使用までの時間短縮が救命率を上げることを知った八木さんたちは、同時に、AEDを増やそうにもスポーツの会場や予算の関係からなかなか整備が進まない現実に直面する。「人員も増やさず、設備導入なしでできるアイデアはないか」。頭をひねってたどり着いた答えが「レッドシート」だった。

 実証実験は阪神タイガースの2軍本拠地である阪神鳴尾浜球場や、ガンバ大阪の本拠パナソニックスタジアム吹田などで行われていて、実際にレッドシーターがAEDを取りに行くと、緊急時に警備員が対応するより、時間が約半分にされたとのデータが出た。エコパでの実験について八木さんは「有観客で実験できて、想定とは違う結果が数多く得られた」と手応えを語った。

 2019年ラグビーワールドカップ日本大会の決勝では、高齢の外国人が観戦中に心停止になったという。事後の対応がよくAEDで蘇生したものの、数万人規模の観客が入るスポーツイベントでは特に観客の安全へのケアが行き届いていない。

 日本ラグビー協会はこの実証実験に協力した。こうした取り組みが、来年開幕する新リーグなどにも波及していく可能性はある。ラグビーファンが競技を楽しみつつ、地域の防災・医療にプラスの効果をもたらしていく。そんな好循環が生まれれば、地域密着をうたう新リーグの理念にも重なる。

【筆者プロフィール】野村周平( のむら・しゅうへい )
1980年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、朝日新聞入社。大阪スポーツ部、岡山総局、大阪スポーツ部、東京スポーツ部、東京社会部を経て、2018年1月より東京スポーツ部。ラグビーワールドカップは2011年大会、2015年大会、2019年大会、オリンピックは2016年リオ大会、2020東京大会などを取材。自身は中1時にラグビーを始め大学までプレー。ポジションはFL。

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