国内 2021.07.07
どん底から這い上がるも難病で引退。加藤広人(サントリー)は、それでも前を向く。

どん底から這い上がるも難病で引退。加藤広人(サントリー)は、それでも前を向く。

[ 編集部 ]



 くそっ。
 最初はそんな感情しか湧かなかったが、やがてベクトルを自分に向けられるようになり、状況は変わる。
 黙々と自分のやるべきことに集中した。それが認められ、前述の日野戦で23人のメンバーに入ることができた。

 底を見たところから這い上がれたから、いま、「その瞬間、瞬間はやり切れた」と振り返られる。「死ぬほど厳しくしてくれた(笑)沢木さんには感謝しています。お陰で成長できたと思っています。やっぱり、このチームを選んでよかった、と思えた」と言える。

 1年目も含め、府中で過ごした3年間が順風満帆な生活ではなかったからこそ得られた感情がある。
 病に苦しんで裏方に回った最初の時期、志願してその役回りに就いたのに、胸中は複雑だった。

 試合を見ながら自分も出たいのに、と思う。ミスが出たら、何やってんだ、と心の中でつぶやく。
 志願は、チームのためでなく、自分の居場所探しだったのかもしれない。

 でも病気が再発し、ドクターストップがかかったあとは気持ちが変わった。
 自分がいま、こうなっているのは、誰のせいでもない。環境のせいとも違う。コントロールできないことに、不満を募らせても仕方がない。受け入れるしかない。そこで、全力を尽くすだけだ。
 そう思えるようになってからは、変わった。

 誰かが良いプレーをする。
 練習で頑張っていたからな、とつぶやく。
 チームが勝つために自分も力になれるのではないか。自ら探し、動いた。
 チームメートがさりげなくかけてくれる「ありがとう」の言葉を素直に受け入れられるようになった。

 社会人になってからの3年。思うような結果を残せず、「俺ってダメだな」とネガティブばかりになっていたかもしれない。
「そんなとき、ある人が言ってくれたんです。そんなことないよ、と」
 これまでやってきたことを、みんな知っているぞ。胸を張れ。そんなエールに聞こえた。

「嬉しかった。各年代で代表に選ばれてきました。いつも試合に出られていたので、そうでなくなり、自信を失っていました。
 よくも悪くも、まだ(会社に入って)4年目。挽回できる。しっかり社会経験を積んで、立派な社会人になりたいですね。(7月1日から新しい部署、職種となり)いまは新人と同じだと思っています。ラグビーのない世界に初めて飛び込んで不安ですが、精一杯やりたい」

 加藤は小学生のときに書いた作文に、将来の夢をふたつ書いた。
 ひとつは、高校ラグビーで花園に行くこと。2つめは、サントリーに入り、日本代表になることだ。
 最後のひとつ以外は叶えた。
 そしていま、新たな希望を胸に秘めている。

「高校ラグビーの指導をしている大学時代の同期に、教えにきてよ、と言われています。ラグビーに育てられたと思っているので恩返しができたらいいな、と」

 引退が発表され、自身のSNSでお礼の気持ちと病気のことを発信したら、予想をはるかに超える人たちからメッセージが届いた。
「本当に多くの人たちに支えられていると、あらためて分かりました。ラグビーを通して、本当に多くの縁に恵まれました」

 寄せ書きにはいつも「尽力」と書いてきた。もともと、人のために動くことが好きだ。プレーヤー人生の最後に裏方を経験し、今後の自分の生き方も見えた気がする。
「指導の機会をいただけて、くさりそうになっている選手がいたら、声をかけたい。自分の経験を伝えられたら」
 ラグビーを嫌いになる選手だけは見たくない。

トップリーグは1試合だけの出場も、這い上がってつかんだものだった。(撮影/松本かおり)

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