明大デビュー→次戦で初先発。大阪朝高卒ルーキー金昂平の走りと「使命」。
今年1月までの全国高校ラグビー大会を沸かせた好漢が、この春、早くも大学シーンで台頭を予感させる。
大阪朝高きってのランナーとして活躍した金昂平が、全国優勝通算13回の明大で早くも1軍入り。5月2日の関東大学春季大会初戦では後半27分から出て、約6分後には勝ち越しトライを挙げた。
東京は稲城の日大グラウンドで、右中間のスペースを大きく破った齋藤誉哉を左側から援護する。自陣22メートルエリアで、ちょうど駆け戻ってきていた防御の背中越しにパスをもらった。フィニッシュ。敵地で日大を24-19と下す。
その後は、非公開となった控え組同士の練習試合にも出た。観戦者の所感を総合すると、金昂平は防御が横一線に並ぶ局面でも自慢のフットワークで前進したようだ。
身長178センチ、体重84キロ。高校時代からの長所を発揮する。
9日の流経大との第2戦では、早くも初先発の座を勝ち取る。普段活動する東京・明大八幡山グラウンドでWTB、本職のFBに入ってステップ、パス、攻守逆転への鋭い反応を示す。68-29で勝った。
「自分的には課題も多くて(1軍に)上がると思っていなかったんですが、周りの人に評価してもらって…」
本人が話したのは4月中旬。部内マッチを経て、明大での1軍に入ったばかりの頃だ。当時から「5月の試合には出たい」と意気込んでいたエース候補は、「まだ1年生で、ちょっと遠慮が出ている」と反省していた。
「少しずつ自主的に、主体的にいけるようになりたいと思っています。自分からボールを呼び込んだり、ディフェンスでも自分から声をかけたり」
新しい環境で驚かされるのは、全国からクラブに集う俊英たちの適応力だ。
実戦練習で同じチームになる選手の顔ぶれが日々、変わるなかでも、先輩方は周りとスムーズに意思統一が図れる。
「自分がプレーしている時以外の、先輩がプレーしているのを見ている時でも得られるものがいっぱいある。プレーひとつのスキルの高さもそうですが、プレーが切れている時のコミュニケーションの取り方がうまい。ちょっとの時間でも具体的に思ったことを伝えている」
自らも、その隊列に恥じぬ存在になりたい。内なる「使命」を胸に秘める。
金がプレーしていた大阪朝高は、2009、10年度に連続して全国4強入りした関西の雄だ。
しかし近年は、朝鮮学校が高校無償化の対象外となった影響で生徒数が減った。ラグビー部もやや部員を揃えづらくなり、金の3年時は2年生以下の2学年で計20名以下だった。
「(団体割引が適用されにくいためか)人が少ないと、どうしても合宿費も高くなるんです」
こう語る金ら21名の最上級生は、チームスローガンに「使命」を掲げる。自らの戦いで入部希望者を増やし、チームの歴史をつなぎたかった。
クラブへの愛は、大学選びにも影響を与えた。
同級生の多くは関東大学リーグ戦2部の朝鮮大を希望するなか、金昂平は1年時から関東大学対抗戦Aの明大を目指した。「外国人留学生がいないなかでも大学トップレベルでやっている」のに憧れた。
「皆(同級生)と(朝鮮大で)やりたいという思いはありました。でも、自分がトップレベルの大学で試合に出て、同級生や後輩にも刺激を与えられたらな…と思いました」
果たして、主将の金勇哲とともに明大進学を決める。朝鮮大行きを決めた仲間たちから「頑張れよ」と励まされた。なかには「俺らも大学選手権を勝ち上がって明大と対戦する」と意気込む声もあった。
自分なりの「使命」が何かを自問自答してきた青年たちは、果たして、2シーズンぶりの全国大会で4強入りした。制服姿で鶴橋の町を歩けば、市民に激励されたり、飲食店の勘定をおまけしてくれたり。影響力を示せたのが嬉しかった。
新チームとなった母校はこの春、なかなか白星を得られずにいる。金昂平は「自分たちがもっと(財産を)残してやりたかった」と自責の念を抱くが、明るい未来も想像する。
「(自身の地元の)京都の子で、自分で憧れてくれて大阪朝高に入った子がいた。後輩にはプライドを持って頑張って欲しいです。自分も自分なりに、後輩を応援します」
着ているジャージィの色が変わろうとも、ルーツへの矜持は変わらない。