コラム 2021.04.23
【ラグリパWest】あの頃、クライストチャーチには田中屋レストランがあった。

【ラグリパWest】あの頃、クライストチャーチには田中屋レストランがあった。

[ 鎮 勝也 ]



 ある日、ジョブ・オファーを探す女性とカテドラル・スクエアー(街の象徴である白とグレーに輝く大聖堂の前)で遭遇した。知り合いのところに一緒にお願いに行ったが、取得する難しさの説明だけで終わった。

 空腹を感じ、田中屋に入る。留学中のラグビーマンも同席した。従業員にジョブ・オファーのことを話しておく。タナカさんが出勤してくる。テーブルに来てさらっと言った。
「ええよ。ウチでバックアップする」
 ひらがなの「え」に濁点がつき、音引きがずっと続くくらいびっくりした。

 この女性のこと、知らないでしょう、タナカさん、どうして?
「一緒にごはんを食べている顔ぶれや本人を見ればわかるよ」
 鮮やかな人間像、そして人の一生が決まるところを同時に見る。日本ではなく、NZで得難い光景が重なった。

 女性はタナカさんの関係していた会社で働き、ジョブ・オファーを得る。望み通り永住権を獲得し、一児の母になっている。
「俺は持ってきた書類にサインしただけやから。なんにもしてない」
 恩を着せない姿勢は今も残る。面倒をみたのはひとりではない。

 田中屋は人に任せた後、居酒屋をやった。一度締めた田中屋を自分で再度、グロスター・ストリートでやったりした。
「地震で閉めて、それっきり」
 2011年2月、この地方を襲った大激震により、日本人を含む185人が亡くなった。大聖堂も崩れ落ちた。

 同年秋に開催されたワールドカップで、クライストチャーチでの試合はなくなった。
「ドレッドヘアーの彼もよく来てくれて、日本代表のみんなを連れてきます、って言ってくれてんけどね」
 堀江翔太もこの街に滞在時、常連だった。

 日本に戻ってきたのには理由がある。
「母親が97歳。元気で、食事とか身の回りのことは自分でできるんやけど…」
 何かあれば、すぐに飛んで行けるようにしておきたい。30年近く親元を離れた。今は実家のある愛知県内にパートナーと暮らす。
「主夫してるよ」
 タナカさんのごはんが毎日食べられる生活は悪くない。

 これから、どうします?
「先のことはわからへんよね。気が向いたら、またNZに戻るかもしれんし」
 永住権を持つため、コロナも関係はない。

「人生、楽しいよ。日本でずっと生きていたら、小さくまとまっていたかもしれん。人のつながりは今ほど広がってないよね」
 タナカさん=田中正幸はひとつの生きざまを示している。

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