【ラグリパWest】一歩引いて、チームを守る。桑原久佳 [関西大学ラグビー部副顧問]
ラグビーは最初の大学選手権に出場した。1964年度。前回の東京五輪の年である。当時は4校制。関西からは同志社とともに挑むも、初戦で法政に3−19で敗れた。次の2回大会から8校制。3〜5回大会まで3連続で出場したが、すべて初戦負けだった。
1975年秋に入替戦に敗れ、翌年から二部にあたるBリーグで戦う。6年後に再昇格するが、1年で降格した。弱体化の主因はスポーツ推薦がなくなったことにある。その制度はSF(スポーツ・フロンティア)と名前を変え、1992年に復活している。
桑原の入学は1987年。低迷期にいながら、187センチ、92キロのLOとして、1年生から公式戦出場。リフターのない時代、おのれの跳躍力だけでボールを奪取する。
「2年生から3年連続で入替戦に出ました」
大阪経済大と天理大に勝てず、昇格はできなかったが、その存在感を示した。
この競技は併設の関大一高で始めた。
「ラグビーの時代でしたから」
テレビドラマ『スクール★ウオーズ』の影響が大きかった。高校と大学の7年を含め、社会人になっても楕円球に関わるのは、恩返しとともに、人作りの喜びがある。
「ラグビーを通して、学生を育てる。成長のお手伝いをする。それは、自分にとっては何物にも代えられないものです」
そのためには強くなった方がいい。大学選手権などの高いステージを経験させれば、進路を含め、学生の人生は変わって来る。
卒業後はコーチなどで部に関わっていたが、2010年に監督に就任する。3年目の入替戦で摂南大を32−17で降し、紺白の段柄ジャージーを32年ぶりにAリーグに復帰させた。その日、祝勝会を主催する。
「レシートを頭に巻いたら2周いきました」
学生が喜ぶなら、数十万円の自腹を切ることもいとわない。
2013年からの成績は7、B、4、8、5、8、B、7位。コロナ禍に見舞われた昨シーズンはAリーグで戦った。関西4位に入った2015年は、47大会ぶり5回目の大学選手権出場。予選プール敗退になったが、法政を29−24で破り、初勝利を挙げた。
桑原は監督だった11季において、少なくない改革を実行した。
園田、森はもちろん、肉体改造の名手である佐名木宗貴をコーチとして招へいする。入試課にいた関係もあり、スポーツや指定校推薦を整える。この年度末の第22回選抜大会を制した東福岡からは2人が入学。正PRだった宮内慶大とCTB立石和馬の評価は高い。
「学生に、勝て、だけではダメ。自分たちも何かしないと」
時間のある時は学生とウエイトトレに励む。ベンチプレスは110キロを差し上げる。学生とわずかでも同じ立場に身を置く。
もろもろの努力が形になればうれしい。関西大は2年後、創部100周年を迎える。