国内 2021.03.01

19歳の大学1年生。古瀬健樹レフリー、トップチャレンジリーグで堂々と。

[ 編集部 ]
19歳の大学1年生。古瀬健樹レフリー、トップチャレンジリーグで堂々と。
178センチ、74キロ。スピードとフィットネスは、「もっと高めないと」。(撮影/松本かおり)


 落ち着いた振る舞いとホイッスルの音。ピッチの上の30人は、誰も19歳の大学1年生とは思わなかっただろう。
 2月28日におこなわれたトップチャレンジリーグの近鉄×栗田工業を担当した古瀬健樹(ふるせ・かつき)レフリーは2002年1月25日生まれ。初めてシニアレベルの公式戦を吹いた。

 外国出身選手とのコミュニケーション時も含め堂々としていた。
 プレシーズンマッチのトップリーグチーム×トップチャレンジチームで笛を吹いたことはある。しかし、公式戦でマッチオフィシャルに名を連ねたのは前日(2月27日)のクボタ×東芝でアシスタントレフリーを務めたのが初めてだった。そしてこの日、レフリーを任される。
「(両日とも)少し緊張しました」と表情を崩した。

 大役を終え、「セットプレーが安定せず難しいところもありましたが、ゲームとして成り立ったと思います」と振り返った。
 近鉄のSHウィル・ゲニアやSOクウェイド・クーパー(ともに元オーストラリア代表)などワールドクラスの選手もいた。しかし、その存在を特別気にすることなく、「両チームのSH、SOというキーポジションにそういう選手がいたので、コミュニケーションをとって、互いにフラストレーションをためずにやれるようにしました」と話す。

 福岡・大野城市出身。ラグビーは自彊館(じきょうかん)中学で3年間プレーした。東福岡高校の附属中学で、高校は、難関大学への進学を目指すコースに入ることになっている。
 HOとBKの複数ポジションでプレーしたからスクラムを組んだ経験はあるものの、「フロントローの気持ちが分かるわけではありません」と言う。

 レフリーへの第一歩は、中学でのプレーを終えた(中3の夏)後だった。顧問の先生に勧められ、後輩たちの練習や試合などでやってみた。
 おもしろい。自身はそう感じ、周囲はすぐに筋がいいと見抜いたから道は開いた。
 授業が毎日18時まで続くから、高校では部に入らなかった。しかしラグビー部の藤田雄一郎監督に誘われ、週に2回の練習と週末に試合がある時は参加するようになる。
 その積み重ねによる上達ぶりは、すぐに噂になった。高校2年時にはユースレフリーのための特別育成枠(TID)に入った。

 古瀬レフリーの進化は、普段の環境が支えている。
 全国トップクラスのラグビー部とともに過ごした高校時代。大学進学はラグビーが前提ではなかったが、指定校推薦で早大に合格した(評定平均は5!)。日本ラグビー協会 技術部門の原田隆司氏、当時の相良南海夫早大監督と話し、入部することに。その方が、日常的に成長の機会を得られると判断した。

 早大ラグビー部では、全カテゴリーのチームの練習に参加する。
 現在は春休みのため、午前中と、午後3時から3時間ほどおこなわれる練習の両方に参加。部内のレフリー仲間とディスカッションをおこない、他大学のレフリーとのつながりもある。成長の場は多岐にわたる。

 準備は怠らない。
 初めてのトップチャレンジ担当試合の前には両チームの過去の試合を見て、傾向やキープレーヤーを把握し、リポートを作成。それをアシスタントレフリーにも送り、フォーカスしてほしい点も伝えた。
 外国出身選手とのコミュニケーションを支えているのは語学力だ。小学生の頃から高校1年まで英会話を習った。それが土台となっている。
 海外ラグビーの映像もよく見る。
「(レフリーの)コミュニケーションの取り方や、どういう言葉を使うのか、参考になります」

 目標は「ワールドカップの舞台に立つこと」。できるだけ早くそこにたどり着きたいが、急ぎすぎない。道程を丁寧に歩むつもりだ。
 実力を蓄え、国内シーンでしっかりと実績を重ねる。「小さなステップを重ねていきたい」と話す。

 みんながハッピーに。
 レフリングの信条を、そう話す。
「そのためにコミュニケーションをとり、ジャッジに説得力を」
 ちゃんと説明できる根拠を持って判断し、一貫性のあるレフリングができる存在を目指す。

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