家族で引っ越し→花園で好タックル。大阪朝高の金智成は、「卒業後も懸け橋に」。
大阪朝高の金智成は戦い終えると、目に涙を浮かべた。
2021年1月5日、東大阪市花園ラグビー場。全国高校ラグビー大会の準決勝に挑んでいた。
2大会ぶり出場のチームは序盤から、看板の防御で魅した。鋭く前に出て、昨季王者の桐蔭学園へ圧をかける。ミスを誘う。
3年生の部員数が21名なのに対し、2年生以下は18名。青年たちは「使命」というスローガンを掲げ、部の命運をかけて奮闘していた。勝ち続けることで入部を目指す同胞選手を増やし、チームの命脈を保ちたかった。
ところが金いわく、桐蔭学園は「よく作られているアタックをしていた。やりにくかったです」。時間が経てば深めのラインを保つようになり、せり上がるタックラーの手の届かぬ区画へパスを回す。
ノーサイド。12-40。敗軍で7番をつけた金は悔しさをにじませる。
もっとも、2010年度以来の4強入りをかすかに誇りもした。
「大阪朝高でラグビーをしたい子が増えたと思う。卒業後も多方面で活躍し、懸け橋になろうと思います」
身長175センチ、体重78キロ。大会を通じて好タックルを連発した。
1、2回戦では、主将でNO8の金勇哲がけがでベンチスタートを強いられた。本来FLの「チソン」が穴を埋める形で8番をつけ、「主将の代わりに、自分が得意なタックルを」。3回戦以降は定位置に戻り、やはり相手の足を刈った。
もともと九州に住んでいた。大阪朝高を志したのは、同校ラグビー部を扱った映画『60万回のトライ』を観て憧れたからだ。画面には、2009、10年度に全国4強入りした後のトップリーガーが映っていた。
やがて家族は大阪へ引っ越し、息子は東大阪朝鮮中級学校を経て花園に立った。
「最初は反対されたんですけど、熱意でお願いしたら、お父さんもお母さんも(意を)汲んでくれて…。大阪は人と人との関わり合いが深かった」
大阪朝高の伝説に魅せられ家族の拠点を変え、大阪朝高の新たな伝説に携わったのだ。卒業後は東京の朝鮮大へ進む。関東大学リーグ戦2部のラグビー部を1部に昇格させたい。