コラム 2020.12.11
【コラム】未知の調和、楕円のしらべ。

【コラム】未知の調和、楕円のしらべ。

[ 谷口 誠 ]

 ラグビーとは他の点でも関わりがある。発祥の地、英ラグビー校の学校生活を記した小説『トム・ブラウンの学生生活』。著者のトマス・ヒューズは同校で楕円球を追い掛けた後、社会活動家となって協同組合を支援した。

 ラグビーは協同組合の理念を「象徴的に示すスポーツである」。そう指摘するのは、街の再生などを手掛ける山崎亮さんである。著書『コミュニティデザインの源流』の中で、学生時代のプレー経験も踏まえてこう記している。「スクラムを組むフォワード、小柄ですばしっこいハーフ、パスを回して走り回るバックスと、一五人がそれぞれ違う役割を果たすのだが、そこでは協業が求められる。(中略)一人の裕福な資本家が市場を牛耳るように、一人のスター選手の華々しい活躍によって試合に勝つということが起こりえないのがラグビーというスポーツだ。その意味では社会主義的なスポーツとだといえるのかもしれない」。

 映像による分析が普及するまで、ラグビーは個々の選手のプレーを数値で評価することが難しいスポーツだった。対照的に、バスケットボールや野球といった米国生まれの競技は個人を目立たせる方向でルールを整備してきた。比較すれば、ラグビーは確かに「社会主義的」であり、だからこそOne for All, All for Oneという言葉がぴったりとはまったのかもしれない。

 協同組合は英国などで、スポーツのプロクラブの運営形態としても採用されている。日本のプロクラブが採用する株式会社には、外部の資本を入れやすい、意思決定が早いなど利点も多い。ただ、転売目当ての投資家の買収によって、目先の利益に走る弊害も起き得る。クラブの本来の存在意義は、スポーツを通じてファンに喜びや感動を届け、地域や世の中の課題解決を後押しすることだろう。チケットを売り、スポンサーを集めることはあくまでそのための手段。協同組合は、プロクラブが過度な商業主義に陥らないための選択肢にもなり得る。

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