コラム 2020.12.10

【ラグリパWest】3連覇に挑む。奈良工業高等専門学校

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】3連覇に挑む。奈良工業高等専門学校
全国高専大会3連覇を目指す奈良高専の森弘暢監督(後列右)と最上級生の5年生5人。共同主将は小泉太護君(前列中央)と板垣壮流君(前列右)。夕日を浴びながら、学校のシンボルでもあるT-6テキサン練習機の前で


 通称は「こうせん」。古くは工専、今は高専と書く。工業高等専門学校のことである。5年制。高校と大学が合わさっている。

 中学卒業後、理系の専門分野を学ぶ。就職や進学もよいため、人気は高い。地区のトップ高校と偏差値もそん色がない。

 高専にもラグビーマンたちはいる。
 年明けの全国大会(全国高等専門学校大会、通称=高専大会)で年1回、覇を競う。
 国立の奈良は今年度、3連覇に挑む。

 学校は城下町だった大和郡山にある。
 安土桃山時代、「大和大納言」と呼ばれた羽柴秀長が城や街を発展させた。温厚な秀長は天下人になる兄・秀吉を補佐する。今でも石垣や堀は残る。金魚の名産地でもある。

 奈良は国立の仙台(名取キャンパス)、市立の神戸とともに、近年その強さから、「ご三家」と呼ばれている。
 全国大会の優勝回数において、仙台は最多14(宮城工専時代を含む)、それに次ぐ10の神戸。奈良は3である。

 優勝回数こそ少ないが、奈良は成長著しい。直近7回の全国大会での決勝進出は6。指導を施すのは46歳の監督・森弘暢だ。
「3連覇の力はあると思います」
 11月14日には前哨戦となる57回目の近畿大会があった。奈良は神戸を45−12と圧倒し、優勝する。

 森は奈良教育大でラグビーを始めた。最終的なポジションはCTBである。
「チームスポーツがしたくなりました」
 郡山高では陸上部に籍を置き、ハードルを専門にした。

 この高校の旧制中学時代、大西鐵之祐が学んでいる。母校・早大で4度に渡って監督を引き受け、1968年(昭和43)には日本代表を率い、ジュニア・オールブラックスを23−19で破った。勝たせる指導者だった。

 森は学内の大学院に進み、体育学の修士となる。小学校に1年勤務した後、奈良に移る。着任は2000年の4月になる。
 高専は大学に準ずるため、先生ではなく、教授と呼ばれる。森は准教授だ。

 最初の6年は陸上の指導。その後、1965年に創部されたラグビーの4代目監督になった。部は今年、55周年だ。

 森は遅く競技を始めたこともあって、その教え方は優しい。ミスに怒声を発しない。
「怒ると委縮して動けなくなります」
 ラグビーの推薦入試はない。25人の部員と女子マネ5人は勉強をしに来ている。週末を除き、練習は放課後の2時間だけだ。

 その内容は、相手をつけた試合形式を先に出し、パスなどの基礎を次に持ってくるなど、飽きさせない工夫がなされている。
 グラウンドは土ながら、トラックは400メートル。その周囲に余地も多い。野球、サッカーと供用も常時、縦横70メートルほどの広さを使える。

 森の熱心さは、近畿地区のU17代表の監督への道を開いたりもした。
「今の大学生を見させてもらいました」
 早大FBの河瀬諒介や帝京大の副将でSOの北村将大(まさひろ)の名が挙がった。出身校は東海大仰星と御所実である。

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