その他 2020.12.09
楕円の競技が、その傷ついた心を救った。ドミニシ、早すぎる別れに。

楕円の競技が、その傷ついた心を救った。ドミニシ、早すぎる別れに。

[ 編集部 ]

 悲嘆にくれたのは、ラグビー界だけではない。フランス国民教育・青少年・スポーツ大臣ジャン=ミシェル・ブランケールが国会の議事進行を中断、逝去の速報を伝えると、出席議員たちは起立し、生前の功績に拍手でオマージュを捧げた。“ドミ”は、自由と平等と友愛の国が誇る英雄なのだ。

2008年にはスタッド・フランセでコーチも務めた(Getty Images)

 TV局は、伝説の試合の映像と共に訃報を伝えた。1999年10月31日、トゥイッケナム、第4回ラグビーW杯準決勝、フランス対NZ戦。その16年後の大会でジャパンが南アを破る日まで、「W杯史上最大の番狂わせ」と称された試合だ。
あの日、ピッチ上で最も輝いたのは、規格外の怪物ジョナ・ロムー196cmではなく、公称172cmのドミだった。前半20分、自陣HL付近でボール受けディフェンスのギャップを一瞬ですり抜け、2人をかわしてゴールライン目前まで迫った、切り裂くようなラン。後半16分、後に代表監督となるSHファビアン・ガルティエのキックを追い、バウンドして混沌としたボールを右手でかっさらうように奪い、瞬時にNZのディフェンス2人を置き去りにした圧巻のトライ。結果、絶対的な優勝候補のNZを43対31で倒す、フランスの勝利。ボールボーイとさして変わらぬ小さな体躯のドミは、巨漢たちを小気味良いまでに翻弄し、後世に語り継がれる伝説となった。

 その翌年には、サッカーの元フランス代表、パリサンジェルマン(PSG)で活躍したローラン・フルニエの引退記念試合にも出場した。UEFAカップウィナーズカップを制覇したPSG1996年チーム対オールスターチームの一戦。PSGには、ユーリ・ジョルカエフら、1996年のメンバーほぼ全員が集結し、オールスターチームには、エリック・カントナ、ジャン=ピエール・パパン、ジョージ・ウェアら錚々たる面々が名を連ねた。ラグビーに転向する以前、リリアン・チュラムと対戦し、あるクラブのアカデミーから誘いを受けたこともあるドミは、PSGの「補強選手」として招待され、途中出場を果たした。ドミのファンであるというフルニエが自ら声を掛け、ドミが参加を快諾したのだ。

 選手として実績を築き、国中で人気を博したが、その人生の多くの期間、ドミの心は傷ついていた。2007年に出版した自伝や他のインタビューでは、鬱に悩まされていたことを告白している。始まりは14歳の時。「第2の母」のようにしてドミを育てた姉のパスカルが、交通事故により24歳で他界する。苦悶し、時に荒れた。サッカーからラグビーに転向、楕円の競技が、その傷ついた心を救ってくれたことを、自伝に記している。だが、姉の死に起因する心の傷が完全に癒えることは無く、苦悩は大人になってからも続いた。更に、1999年に伝説の選手となった翌年、当時の伴侶がドミから離れた。24日間眠れず、体重が8kg落ちたこともあるという。公の場で人を魅了する笑顔を見せていたドミだが、実のところ、同時に葛藤の日々を過ごしていた。

PICK UP