明大の山沢京平副将は、もし試合に出られなくてもキーマンになる。
最低気温が1桁台に達した11月11日の東京。世田谷区は八幡山にある明大ラグビー部のグラウンド脇の簡易スタンドに、右腕あたりへ装具をつけた山沢京平が腰をかけていた。チームの副将でもある22歳は、仲間の練習に視線を送る。
心のありようを述べる。
「うまく行っているところ、いっていないところを自分なりに提示…ではないですけど、それをすることで、チームに少しでも力になればな…というようにはなっています」
パナソニックに所属し日本代表3キャップの拓也の弟。3人きょうだいの末っ子でもある三男は、深谷高ラグビー部を経て2017年に明大へ入った。1年時から最後尾のFBで主力入りし、昨季は司令塔のSOに転じて3季連続で大学選手権の決勝戦を経験した。高校日本代表、20歳以下日本代表と年代別代表にも名を連ねてきた。人垣をすり抜ける際のボディバランス、距離の出るパスとキックが光る。
2連覇を逃した昨季は、右肩を痛めていた。最上級生として迎える今季はシーズンが深まる前の復帰を目指したが、厳しい現実に直面する。
加盟する関東大学対抗戦Aの開幕を4日後に控えた、9月30日のことだ。なんと、右ひざの前十字靭帯を断裂してしまう。
「(肩の)リハビリがうまくいかない時からずっと(準備をして)きて、最後、がまんして対抗戦をやってこうと決めて、その時に、膝をやって…。悔しいのと、なんでラグビーができないんだというのと、あとは、なんて言うんですかね…。なんで、自分だけ…というか…。ネガティブになりました」
肩の回復もやや遅れていたとあり、言葉にならぬ感情が芽生えたのだ。なんとか「この先(卒業後)もラグビーはやる」と気持ちを切り替えたのは、けがを負って数日が経った頃だったか。10月、ふたつの患部にメスを入れることにした。
「けがをして一日、二日は(精神的に)きつかったんですけど、自分のなかである程度、切り替えられたというのと、澄さん(田中澄憲監督)、スタッフ、同期とかに、少しでもやれることをやって欲しい、それが力になると言ってくれて。そういうのもあって、もう、自分にできることをやろうと思いました」
肩の状態が戻るのは冬頃の見込みで、膝の治療にはさらなる時間を要する。多くのファンには復帰を期待されるだろうが、本人はいま、グラウンドに立たずともできることをやり抜きたいという。
「けがに関してはリハビリをやっていくしかない。あとは、SOをやっている下級生に自分がどういう感じでプレーをしていたか、とか、自分の経験とかを、教えられるところは、教える」
こちらも4年生でルーキーイヤーから先発するNO8の箸本龍雅主将は某日、山沢が1年生SOの池戸将太郎にプレーの相談をされる姿を見た。自らの知恵をチームへ還元するさまが頼もしいと言う。
「京平自身もむちゃくちゃ、つらいと思う。でも、リハビリをしながら寒いなか練習を見に来てくれている。きょう(11日)も、終わった後のチームトークでアドバイスをしてくれました。もともと京平はラグビーをたくさん観て、考えている。いまは自分の知識を皆に伝えていて。チームにどう貢献するかを考えていて」
箸本の「もともと京平はラグビーをたくさん観て、考えている」という証言には、山沢の高校時代の恩師の言葉が符合するような。現熊谷高監督の横田典之は、山沢を指導していた時期にこう述べていた。
「本人は全然、そういう話をしないんですけど、彼のお母さんいわく家では海外の試合のビデオを観まくっているらしいんです。だからいろいろとプレーのアイデアが出る」
11月1日、チームは対抗戦・第4節で慶大に12-13と敗れた。慶大は9月の練習試合で下した時より防御ラインの間隔が広く、明大はオープン攻撃に強い圧をかけられた。さらに陣地の取り合いでも後手を踏んだ格好。若きプレーメーカーの見立てはこうだ。
「慶大がやっていたディフェンスが(想定と)違って、最初に考えていた(攻撃の)プランが修正できないまま、はまった…と。エリア(陣地)を取れなかったというよりは、(圧力を受けたために)皆に余裕がなくて、エリアを取る考えを大きく持てなかったというのもあると思う。自分は観ただけなんでなんとも言えないですけど、自分ならもっとこうしたなというのは感じました」
ただし、悲観はしていない。当日の防御の攻略方法、試合の進め方については、後日、一部の選手やスタッフと個別にアイデアを交換した模様だ。
一昨季は、対抗戦5勝2敗とチーム状態を乱高下させながら大学日本一になった。かたや昨季は、対抗戦を全勝で終え充実ぶりを示しながら大学選手権2連覇を逃した。その間、ずっと主力格だった山沢は、自軍の行く末を前向きに捉える。
「周りのファンの人、第三者からすると、『今年の明大は強くない』となるとは思うんですけど、プレーヤーにとっても、自分にとっても、そんなにネガティブな要素はなくて。チームにはここからやるべきこともあるし、取り組んでいないこともいっぱいある。去年は完成が早くて(最後に)負けた分、いまは(試合をしながら)新しい課題を出していって、それを一試合、一試合でつぶしている。この後、落ちていったらだめなんですけど、ここから上がっていけばあの負けがあって…と言える」
対抗戦では22日の帝京大戦、12月6日の早大戦(ともに秩父宮)を残す。ある程度、足が動くようになったら、ベンチで助言する立場に回りたいと言う。もし戦列に戻らないことがあっても、貴重なキーマンであることには変わらなそうだ。