国内 2020.07.22

関西学院大のFB奥谷友規。人に恵まれ、育まれたラグビー愛。

[ 多羅正崇 ]
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関西学院大のFB奥谷友規。人に恵まれ、育まれたラグビー愛。
170センチ、73キロ。動きにキレがある。(写真:関西学院大学ラグビー部)

 どうしてラグビーが好きなのか。自分自身にそう問いかけると、恩師や仲間の姿が思い浮かぶ。

 関西学院大4年のFB奥谷友規(おくたに・ゆうき)。兵庫の大学キャンパス近くで一人暮らしをしながら、社会人リーグでのプレーを夢見ている。

 大きな武器のひとつは、切れ味鋭いステップワークだ。ポジション適性も幅広く、フルバック、ウイング、スタンドオフに加えて、中学、高校時代はスクラムハーフも経験した。

 ただアピールポイントを問われれば、「ラグビーが好きです」と答える。どうしてラグビーが好きなのだろう。楕円球と共に歩んできた道のりを振り返ると、ひとつの答えが思い浮かぶ。
「人に恵まれたと思います」

 3兄妹の次男として、京都府伏見区に育った。
 小学4年の時、学内にタグラグビー部ができた。監督を務めたのは佐賀一俊先生だ。
「生徒想いの優しい先生でした。チームの名前は『春日野小学校ハンズボンズ』です(笑)。小学5年で近畿大会に優勝して、全国大会のサントリーカップでは秩父宮で試合をしました」
 小学6年で監督になった李大佑先生にもお世話になった。キャプテンにもなり充実した日々を送ったから、ラグビーを続けたいと自然に思えた。
 小学校の友人達は「めっちゃ仲良し」だったが、学区の地元中学には進学しなかった。みずからの意志で、ラグビーで進路を選んだ。

 伏見中学では、井口隆路監督に出会った。
 中学3年はキャプテンを務め、主力スタンドオフとして先導する立場だった。
「恩師の井口監督はすごく気さくで面白い人ですが、しっかり怒ってくれる時もあります。温かい方でした」
 中学3年の合宿で、ランニングメニューを中位グループでこなしている姿を厳しく注意された。
「監督に『キャプテンなんだから先頭で走るべきや』と言われて、この人に言われたらそうや、と思いました。そのときに選手への愛情を感じて、その通りにやりました」
 遅れの理由は足の痛みもあった。それでも監督の期待に応えたくて、それからは先頭で走り続けた。

 京都成章では湯浅泰正監督に出会った。
 伏見中学の歴代キャプテンは、2学年上の尾﨑晟也(サントリー)、1学年上の小畑健太郎(神戸製鋼)しかり、伏見工業に進学するケースが多かった。
 しかし奥谷は違った。
「京都成章を選んだ理由は、監督の湯浅先生の人柄に惹かれたからです」

 高校3年の秋は、監督の心遣いに救われた。
 府予選決勝で伏見工業に5−7で敗れて、花園は記念枠での出場になった。苦悩し、挫折を味わった。
「春に大勝していた伏見工業に府予選決勝で負けて、一度引退を味わいました。僕がキッカーで、簡単なキックを外した責任を痛感していたので、いっそう落ち込みました」
 敗戦から記念枠出場が決まるまでの数週間は「人生で一番きつかったです」。花園出場を信じて「いつも通り」の練習をしたのだ。

 苦悩する選手に対し、湯浅監督はメンタルトレーニングの専門家を招き、メンバーを神社に連れて行くなど、あの手この手で選手をケアした。
「湯浅監督がいろいろな方法で前向きにしてくれました。やっぱり成章に行ってよかったと思いました」
 キック失敗の責任を感じていたスタンドオフの奥谷は、府予選決勝の直後から毎日のようにHポールに向かっていた。早朝に一人でグラウンドに立つこともあった。
 そしてリベンジの舞台となる花園で、プレースキックは「8割は入りました」。大舞台で努力を実らせ、チームは花園ベスト8を達成した。

 関西学院大では、昨シーズンで勇退した牟田至監督に出会った。
「カンガク(関西学院大)に進学して良かったと思う理由は、同期や仲間に恵まれたことと、牟田さんに会えたことです」
 練習は過酷だった。選手が「牟田ックル」と呼んだ全力の1対1。京産大戦へ向けた4千本のスクラム練習・・・。それでも選手は一致団結した。
「厳しいけど良い人で、選手やスタッフにすごく気を遣う方でした。牟田さんは本来2年で辞めるつもりでしたが、選手で話し合い『どんなにキツくても牟田さんを信じよう』と決めて、3年目もお願いしました」

 そうしてスタートした2019年度で、関西学院大は大学選手権ベスト8を達成した。先発フルバックの奥谷も躍動した。
 大学選手権という大舞台にいたのは、高校時代に大きな挫折を味わった、キッカーとしての奥谷友規だった。
「昨年春の時点ではチームのキッカーが定まっておらず、キッカーになるために練習後の自主練習をキックに費やしました。高校時代の経験から、練習をすれば確実に上手くなると分かっていました。高校の府予選決勝と同じ想いをするのがイヤだったので、休みの日も練習しました」
 迎えた昨年の大学選手権で、奥谷は全2試合にフルバックとして先発。プレースキック成功率は89%(9本中8本成功)を記録した。

 大学卒業後はトップリーグ、トップチャレンジリーグを志していた。しかしコロナ禍がやってきて、一人暮らしの部屋に閉じ込められた。目の前が真っ暗になった。
「『トップリーガー発掘プロジェクト2020』に応募するつもりでしたが、新型コロナの影響で中止になりました。どうしたらいいか、分からなくなりました」
 そんな暗闇のなかで出会ったのが「#ラグビーを止めるな2020」の活動だった。アピール機会を失った高校3年生を対象としたインターネット活動だったが、奥谷は持ち前のフロンティア精神で、大学生ながらプレー動画を投稿した。
「『高校生が対象』と書いてあったので、大学生の自分が投稿したら図々しいなと思い、躊躇(ちゅうちょ)していました。でも元トップリーガーの方が『中学生も大学生もぜひ』と発信してらっしゃって、決意しました」
 自身のプレー動画なら、トップリーガー発掘プロジェクトのために昨年制作していた。投稿すると、たくさんのラグビー仲間、先輩、後輩、お世話になった人々が拡散してくれた。

 どうしてラグビーを続けたいのだろう。自分にそう問いかけると、まず両親の姿が思い浮かぶ。
「これまで両親にラグビーをさせてもらって、まだラグビーができる身体なので、恩返しするのならラグビーだと思っています」
 関西Aリーグは10月10日の開幕をめざしている。将来の不安は尽きないが、いまは関西学院大の勝利に貢献したい。情熱の火をともしながら、お世話になった人、チームへ、恩返しする日を思い描いている。


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