藤田慶和、東京五輪への強い思いはブレない。「母親の夢も一緒に叶えたい」
藤田慶和が7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表に初めて選ばれたのは2011年、東福岡高校3年生のときだった。18歳2か月、史上最年少での選出だった。15人制日本代表でも31キャップを重ねることになるスピードスターは、一時期セブンズから離れていたが、昨年、3季ぶりにワールドセブンズシリーズに参戦。東京オリンピックを目指して7人制の舞台に復帰した。2016年のオリンピックにも挑戦したが、リオではオリンピアンにはなれずバックアップメンバーとして参加していただけに、そのときの悔しさも糧に成長し続けている。
今年9月には27歳の誕生日を迎える。
「年齢的に中堅になってきたので、これからはみんなを引っ張っていく存在になりたいです。そういう意識も持って取り組んでいきたいと思っています」
新型コロナウイルスの感染拡大に注意しながら、関東地区にいるセブンズ日本代表候補の仲間たちと一緒に8人で練習をおこなった7月16日、オンラインで合同取材に応じた藤田はそう言った。画面を通して見る表情からは充実感が感じられた。
「自粛期間が続いていたので、みんなで集まってトレーニングできることが幸せです。これからオリンピックへ向けてひとつずつステップを上っていきたいと思っています」
セブンズ日本代表候補選手たちはいま、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、各自が拠点とする場所に近いところで、全国5か所(北海道、東京、名古屋、大阪、福岡)に分かれてトレーニングをおこなっている。一緒に集まるのは少人数で、週一回程度。それ以外は、藤田は所属するパナソニック ワイルドナイツのジムやグラウンドを使ってトレーニングをしているという。
自粛期間中は実家がある京都で過ごし、早朝に外を走ったり、家で器具を使って体を鍛えるなど、次の長いシーズンを戦えるような土台を作ろうと思いトレーニングをしてきた。
「僕は両肩の手術をしたことがあるので、長いシーズンになってくるとそこに少し故障が出てきたりする。だから、しっかりと筋肉を鍛えて、長いシーズン中に故障が出ないようにトレーニングを積んできたつもりです」
今年の7月に開催されるはずだった東京オリンピックは1年延期となったが、藤田は「自分たちにはコントロールできないこと」と切り替え、前向きに取り組んでいる。
延期となったことで、パナソニックのチームメイトでもある福岡堅樹などがセブンズ日本代表からの引退を表明して離脱してしまったことについては、「一緒に戦えなくなるのはすごく残念。いままで一緒にやってきた仲間なので、その人たちの分までオリンピックで活躍できるように、精いっぱい努力したいです」と決意を新たにしている。