コラム
2020.06.18
【コラム】 平和の反対に反対なのだ
かたや日本のラグビーマンたちは目下、都市封鎖ではなく活動自粛という形でトレーニングの制限を余儀なくされてきた(いる)。
列島の施政者はなるたけ経済活動を維持しながら感染を防ぐという指針を掲げ、『STAY HOME』という文言を国民の良心に問いかけ、結果、もともと維持されるべきだった市民の暮らしには亀裂が生じてきた。
そのさなか、1月から5月までの国内トップリーグが最初に「延期」を発表したのは2月下旬のこと。以後、さまざまな理由で3月中の中止、シーズンの不成立が順次、決まってきた。
ウイルスの猛威を受けたタイミングの異なるニュージーランドと日本の政策を単純比較するのは難しいとしても、スポーツは平和でなければできないという事実は再認識できたのではないか。
平和という言葉に明確な対義語はなさそうだが、平和と趣を異にしそうな単語のひとつに分断がある。本来繋がり合っていたものが分かれる状態を指し、人間関係における差別や対立を表す際にもこの単語は用いられる。
さまざまな国の選手が文化や国境を越えて一丸となっていた先の日本代表を好む読者の方なら、まさか自主的に分断を促したいとは思わないだろう。