昨季まで神戸製鋼のイーリ ニコラス、ニュージーランドのロックダウン生活を語る。
国内トップリーグの神戸製鋼に在籍していたイーリ ニコラスは現在、生まれ育ったニュージーランドのカンタベリー地方クライストチャーチにいる。世界的に評価されている同国の新型コロナウイルス感染拡大防止対策について、現場から伝えてくれた。
オンライン取材を受けたのは現地時間で5月14日の夜。「きょう、新たな感染者はゼロでした。昨日は3人。その前の2日連続でゼロ。ニュージーランドでは(ウイルスにかかる)リスクは少ないと言えば、少ないです」と報告する。しかし、こうも付け加える。
「不安な部分も、あります」
日本とニュージーランドの両方にルーツを持つ。幼少期を北海道で過ごし、ラグビーを始めた5歳の頃からニュージーランドに滞在。名門のセントビーズ校を経て拓大入りし、2011年に入ったパナソニックでは日本人初のスーパーラグビープレーヤーである田中史朗とSHの定位置を争った。
同学年で後の日本代表主将のリーチ マイケルを札幌山の手高に誘ったのも、同高に1年間留学していたイーリだった。神戸製鋼に移ったのは2015年で、近年は単身でプレー。8歳、6歳、2歳の子どもには「英語をしゃべって欲しい」と、日本人の妻ら家族を前年から同国に住まわせていた。
自らもニュージーランドの借家に戻ったのは3月上旬。同月のトップリーグの試合が「コンプライアンス教育」の徹底のためになくなったのを機に、日本を離れた。
入国するや、ニュージーランドが感染拡大防止のために極端なロックダウン(都市封鎖)をする見込みだとわかった。他のニュージーランド出身の同僚とともに、日本へ戻れなくなる可能性を案じた。
感染症による今季のリーグ戦不成立の報せを受けたのは、実際にロックダウンが始まりそうだった3月下旬。イーリは安どした。
「結果的に(早めに帰国して)よかった」
国が定めたウイルスへの警戒レベルは、4月時点では最も高い「4」だったが、5月上旬の約2週間は「3」に落ち着いた。
「4」の頃は病院以外の施設の多くが閉まっていて、商業施設として唯一開いているスーパーマーケットで買い物ができるのはひと家族のうち事前にノミネートした1人のみ。客は「誰かが出てきたら、誰かが入るというシステム」に従い入口前に並んだ。入店時の手指消毒も必須だった。
イーリの兄の妻は、勤め先の航空会社で働けない代わりに政府からの補助を受けていたようだ。各自で不要不急の活動を控える「自粛」を要請する日本とは違い、国民の命を守る厳格な取り決めがなされていた。
神戸製鋼から給与を受け取り家庭経済の心配はしなくて済んだイーリ自身は、「家にいるか、運動をするか、スーパーにいるか。そう言われたほうが過ごしやすいと言えば過ごしやすい」。外出できない時期の様子を、こう描写した。
「個人的には、家にいて、トレーニングをして、子どもが学校から帰ってくるといういつものオフシーズン中の生活とあまり変わらなかったです。ただ今回は子どもが家にいた。学校はオンライン(通学)で、Eメールを受け取っていました。(4月は)あっという間の1か月でした。自粛と言われると人によっていろんな意味を持つかもしれない。ただニュージーランドには(感染拡大防止のための)決まった厳しいルールがあって、とりあえず4週間は頑張るしかないと思って。レベル3になったのはちょうど2週間前(5月上旬)。仕事に戻れる人の範囲が広がって、レストランのテイクアウトがOKになりました」
今回のインタビューがあったのは、ニュージーランド政府が警戒レベルを「2」に引き下げたタイミングだ。この日からは、ソーシャルディスタンスの徹底こそ求められながら、それまで禁じられたショッピングモールの開店などが許された。徐々に平穏な暮らしが戻りつつあるのだろうか。
神戸製鋼の外国人選手とはzoomなどで連絡を取り合ったイーリ。一部のメンバーが派手な髪色にしているのには驚いたが、皆、元気そうで安心した。一方で気がかりなのは、北海道に住む祖母をはじめとした日本の親族や仲間たちのことだ。
背景の異なる両国での政策の違いについては「(解決は)簡単ではないとわかっています」「ニュージーランドは経済的に世界トップではないのでロックダウンができた」など慎重に言葉を選ぶが、北海道に住む祖母のもとへはいつ行けるのかなど、個人的な心配事はあるという。
「ニュージーランド国民は(レベル「2」に引き下げるまでの)6週間を犠牲にしてきました。大きな犠牲を払った人も、あまり犠牲のない人もいたと思いますが、個人的には完全ロックダウンじゃないとこの結果は出なかったと思っています。最初の1~3週間はニュージーランドがどうなるか不安もありましたけど、感染者が出るたびに不安もなくなっていた。僕には日本人の友だちが日本にいるので、日本のニュースを見ながら暮らしています。ただ、日本だったら何が正しいか、日本ならどうやったら戦えるか、答えがわからないです。日本がどう戦っていくかがあまりわからないから、不安があります」
かねて目指していたニュージーランドでの永住権は、今年7月までには取れそうである。その後は「これ以上、コロナがひどくならなければ」と条件付きではあるが、家族で日本へ戻るつもりだ。もっとも、5シーズン在籍の神戸製鋼は2019年度限りで離れる。退団発表前に口にしていたのは、「安全第一」の思いだった。
「プロラグビー選手としていつでもプレーできる身体にしたいので、トレーニングは毎日しています。ただ現在、世界中のいろんな国でいろんな人が亡くなっている。(自身の)ラグビーのことは考えていないです。いまの僕の仕事は、健康でいること」
いま心待ちにしているのは、6月中旬に開幕するスーパーラグビーのニュージーランドチームによる「アオテアロア」の試合を観ることだ。自身もいつの日か、平和な芝で球を投げたり、蹴ったりしたい。