コラム 2020.05.26
【ラグリパWest】ラグビー経験で中学生を導く。 東順一 [大阪市立淀中学校教頭]

【ラグリパWest】ラグビー経験で中学生を導く。 東順一 [大阪市立淀中学校教頭]

[ 鎮 勝也 ]
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 茨田北では3年の時に鳥山が来る。
「夏、仰星の練習に連れて行ってもらいました。声がよく出ていて、雰囲気がよかった」
 志望校を決める道筋を作ってくれる。
 鳥山はその後、指導現場を高校に変える。今は大産大附の監督をつとめている。

 仰星では3年の時に全国制覇をする。
 79回大会(1999年度)の決勝は埼工大深谷(現・正智深谷)を31−7で破る。
 相手FLはのちのホラニ 龍コリニアシ。パナソニックの現FWコーチは、日本代表キャップを45持っている。

 この優勝は仰星にとって歴代5位のV5の始まりになる。東はCTBの正選手だった。
「トライをさせるため、自分が犠牲になってパスを出す。タックルも一生懸命でした」
 土井はそのスタイルを覚えている。

 メンバーにはFLに主将の湯浅大智、NO8には梶村真也がいた。2人は高校監督になる。湯浅は土井の跡を継ぎ、母校へ。梶村は関大北陽に行った。
「湯浅のことは刺激になります。活躍している姿を見ると負けてられへん、って感じになります。カジも大阪の決勝に行ってます」

 教員希望もあり、地元の大体大に進む。
 1年では公式戦にも出たが、2、3年はB(二軍)中心。副将になった4年時は膝のケガもあり、正位置は獲れなかった。大学選手権(40回=2003年度)は1回戦で東海大に27−30と敗れた記録が残っている。

「1年目はキクさんと一緒に試合に出られました。BでもAの相手ができました」。
 考え方は常にポジティブ。菊谷崇との出場をよろこぶ。2学年上のバックローはトヨタ自動車などで日本代表キャップ68を得る。

 教員免許を持って卒業。豊崎、旭陽などで教えた後、2012年に淀中に赴任する。
「当時は元気いっぱいの子が多くて、こっちも負けんように元気いっぱいでいったりしました。お迎えにもよく行きました」
 難しかった生徒指導を笑いで包む。

 赴任の翌年、区では唯一となるラグビー部を作った。ただ、現在の部員は2人。東が校務多忙で指導が困難になった。その現状を救うため、この春、2人の経験者が赴任する。廣松義之(体育)と宮里優次(国語)である。

 東は成績のしんどい子を入部させ、ラグビーで培ったパイプを利用して進学させる。その努力なども教頭就任の呼び水になった。
「学校も落ち着いてきて、生徒たちも勉強に励むようになってくれています」

 目標は設定済みだ。
「淀中を大阪一の中学校にすること」
 そのためにはラグビーが生きる。
「ものを大切にする。掃除や整理整頓。あいさつ。目配り。気配り。自分で考えて動く。みんな、仰星時代に学びました」

 恩師の土井は還暦になった。今は東海大相模の校長をつとめる。
「東と湯浅の人間力のアップ度は同じかもしれない。でもその仕方が違います。中学という支えが何もないフィールドで、東は自分の力だけでやって、今の地位を築きました」
 その評価は高い。

 新型コロナの蔓延で非常事態宣言が出ていた大阪も5月21日は解除になった。6月1日からは通常授業が始まる。
 東が力を発揮する時間がまたやって来る。


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