ラグビー金言【4】笛をそっとポケットにしまうだけ。

2016年の3月末、長く関東ラグビー協会の事務局に勤務されていた冨澤政雄さんが77歳で職を離れた。
ラクビーマガジンの同年4月号には、冨澤さんの「巻末インタビュー」記事が掲載された。
トップレフリーとしても活躍した同氏は東京生まれ。葛飾区堀切で育った。ラグビーと出会ったのは向島商業高校卒業後、横須賀の海上自衛隊に入隊してから。必修訓練にラグビーがあったことがきっかけだった。
のちに下総第3術科学校に移り、体育教員を務めた。遠洋航海武道要員として南米などに航海したとき、現地の人や日系の人たちに柔道を教えた時期もある。
幹部候補生たちが海外でラグビーの試合をするとき、足りないポジションでプレーした。自衛隊ラグビー大会にも出場経験があり、レフリーは30歳の時に始めた。
日本協会のレフリー海外研修により、渡英したこともある冨澤さん。得意の手品でそこにいる人たちのハートをつかみ、現地で人気者になったそうだ。試合前、両チーム主将との距離をそうやって縮めたこともある。
関東協会に勤務した18年間は様々な業務に携わった。そのうちのひとつが試合へのレフリーの手配だった。多くのチームがお世話になった。
【冨澤政雄さんの金言】
「いま関東協会がある場所(秩父宮ラグビー場横)は、昔は大きなお風呂がありました。改装後、いまはスタジアムの中にも両チームが一緒に入れる風呂がなくなったけど、あれがある頃は試合後にレフリー、両チームの選手たちが入り混じり、みんな一緒に汗を流した。選手に背中を流してもらったこともある。湯船で話している途中、前半のあの時の…と切り出す選手もいて、プレーについて話すこともありました。リラックスして話すから、お互いのためになる。そして最後は、水に流す」
強く印象に残っているレフリー担当試合を尋ねると、「ないね」と即答した。
「安全面以外、子どもの試合も大人の全国大会も同じ気持ちで吹いていたから、自分の中での記憶もすべて同じなんですよ」
ラストゲームも覚えていない。
「その試合が最後なんて知っているのは自分だけ。いつものように試合が終われば、笛をそっとポケットにしまうだけだった。だから、なんの印象もないんです」