【ラグリパWest】旧姓に戻り、心機一転。伊藤太進[近鉄ライナーズ セールスマネージャー]
コーチの勉強を物理的に可能にさせるのは雇用形態にある。契約社員ではなく、業務委託。仕事に支障をきたさない限り、副業は可能だ。その契約期間は1年である。
太進は現役時代、速さと強さを兼ね備えた選手だった。
ラグビーを始めたのは東生野中。東大阪市に隣接する生野区にある。
大阪工大高では、本多貴、赤井大介の3人と超高校級のFW3列を形成。3年時の78回全国大会(1998年度)では決勝で12−15と啓光学園に敗れたものの、この一戦は高校大会史上初の大阪決戦になる。
両校はその後、常翔学園と常翔啓光学園に名前を変えている。
明大から日本IBMへ。2003年度から6シーズンを過ごす。故郷の近鉄では8シーズン。チーム史上最高となるトップリーグ5位の2011年度も中心選手だった。現役引退のころのサイズは183センチ、101キロだった。
新職場では日々、スーツにネクタイ。ウインドブレーカーやジャージを脱ぎ捨てる。
「IBMの時は3年目までは社員選手だったので、毎日スーツを着ていました。だから苦にはなりません」
紫紺の明大時代、チームブレザーに白のグッチのシューズとベルトを合わせた、という伝説を持つ。その2つのアイテムは同じ色の方が映える常識は知っている。今はニューバランスの紺のスーツがお気に入りだ。
その正装で動き回る東大阪、特に地元の東花園には愛着がある。なじみのカフェ「クィーンズコート」では唐揚げピラフ、「伊吹そば」では鳥こしょうそばに舌鼓を打つ。
「チームメイトも大阪に来たら、東花園に顔を出して、お店に行くんです」
挙がった名前は成昂徳(そん・あんどっ)ら。現在、三菱重工相模原のPRは2013年度まで8シーズン在籍した。
1年目の目標は定めている。
「まずは仕組み作りです。コロナの影響がありますが、準備期間と考えて、できることをやっていきます」
新型コロナウイルスが猖獗(しょうけつ)を極める中で、やれることを考える。
「プレッシャーもあるけれど、楽しみです。自分自身で切り開いていけますから」
大恩を感じるチームのトップリーグ復帰、そしてまだ見ぬ優勝に向け、太進は営業サイドからそれらを下支えする。