コラム 2020.03.25
【ラグリパWest】赤黒の鬼軍曹。 権丈太郎[早稲田大学アシスタントコーチ]

【ラグリパWest】赤黒の鬼軍曹。 権丈太郎[早稲田大学アシスタントコーチ]

[ 鎮 勝也 ]



 権丈は現役時代、ジャパン以外の世代の日本代表すべてに選ばれた。高校、U19、U21、U23。ただ、華やかな経歴とは裏腹に、その底には「後悔」が横たわる。

 競技は福岡のつくしヤングラガーズで5歳から始めた。高校は筑紫に進む。3年時は東福岡に17−41で敗れた。
「実力的に差はない、と言われていたのに、ディフェンスがやられまくりました。とても苦しい思い出です」
 最後は83回全国大会(2003年度)の県予選準決勝。3年間、花園の芝は踏めなかった。

 早大では3年時を除き、3年間、大学選手権で優勝する(41、42、44回大会)。1年から公式戦に出場。4年時には主将としてFB五郎丸歩(日本代表キャップ57)やPR畠山健介(同78)らをとりまとめた。

「すごい人たちがいっぱいいる中で、本当に努力するということを怠りました。こうなりたいという希望はあるのに、自分に向き合えなかった。うまく帳尻を合わせた感じです」

 第45回日本選手権では2回戦でトップリーグの東芝に24−47で敗れた。
「勝てた試合だったと思います。キックオフのボールを取って外に出てしまった。手を出さなければダイレクトタッチでした」
 敗戦の理由は自身のミスだけではない。それでも鮮明にあの日の失敗を覚えている。

 11年に及ぶNECでのトップリーガーの時代にも暗色はつきまとう。
「つらかった。あまり記憶に残っていません。自分なりに頑張ってきたつもりですが、常にすべてを出し尽くしたか、と問われれば、『はい』とはっきりとは言えません」

 リーグ戦の最高成績は2011年度の3位。頂点には手が届かなかった。
 五郎丸や畠山はHO堀江翔太やWTB山田章仁ら同期たちと2015年のワールドカップの大舞台を踏んだ。3勝を得る。

 ただ、劣等感は時とともに変化していく。
「引退が近づくにつれて終わりたくない、と思うようになりました。最後にチームを好きになった。今ではとても愛着があります」

 悩もうが、泣こうが現役の時間は限られている。その中で、トップチームでラグビーができる幸せやしんから努力する大切さに気づく。グリーンロケッツへの思いも最高点へ。結局は大団円を迎える。

 学生たちには、自分と同じ思いをしてもらいたくないし、させない。だからこそ、その指導に熱がこもる。体をぶつけ、痛みを感じることもいとわない。

「今、好きなことを存分にやらせてもらっています。上井草に来れば元気になる。出してくれている会社には感謝しかありません」

 この2年目はまた体を鍛え始めた。
「今年は積極的に練習に入るつもりです」
 その姿はチーム6回目、史上最多の大学選手権連覇を狙う赤黒にとって何より心強い。


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