【ラグリパWest】大西先生、お疲れさまでした。 平田政喜&橋本俊治(京都産業大OB)
「ウチをよく研究していたと思います」
平田はこの試合で右足を骨折する。
「前半30分ほどで退場しました。神辺さんにタックルされ、箕内さんに乗られました」
相手バックローは神辺光春や主将の箕内拓郎。箕内は日本代表キャップ48を得る。
俊治は試合の記録係をしていた。
「夏前に原付で軽い事故を起こして、そのまま使ってもらえなくなりました」
春のオープン戦ではパスさばきや俊敏性で1軍出場を果たしていた。
大一番での感動を覚えている。
「ペナルティーをもらって、大畑さんがスクラムを選択しました。あの時にはしびれました。あれだけ決定力があった大畑さんが自分で行かず、スクラムを選んだのですから」
主将もこのチームの魂を理解していた。
翌年度、俊治も正位置を獲る。関西リーグでは初の連覇。続く選手権は関東学院大が連覇する。8強戦で34−43と再び涙を飲んだ。
「バックスリーの得点力が格段に落ちました」
平田は振り返る。大畑はもちろん、WTB岡田吉之(クボタ)らの卒業も大きかった。
タレント不在はチーム成績に影を落とす。 残りの2年は関西3位から4位。選手権は初戦敗退。明治に5−60、そして早稲田に32−62だった。平田は3年で腰のヘルニアを受傷。主将になったものの精彩を欠いた。
4年の間、ひと時の安らぎは「食料合宿」。公式戦の週はチームの競争意識を高めるため、メンバー22人には毎晩、特別食がふるまわれた。その多くが大西のポケットマネーによって賄われ、今も続いている。
メニューはすき焼き、焼き肉、水炊き、すっぽん、味噌ちゃんこなどだった。
「単純にいつも美味しかったです」
平田の表情は緩む。
調理の中心は大西の妻・迪子(みちこ)。大阪の高級住宅地・帝塚山にあった天ぷら「逢坂」の家付き娘だった。茶釜に串を入れ、揚げたてをいただく天ぷらは、芸能人やプロスポーツ選手の間でも人気だった。
厳しい練習や試合、時にはグルメを経験し、2人は卒業する。平田はNTTドコモに、俊治は近鉄に進んだ。
平田は首を痛めたこともあり、2年で現役を引退。社業に専念し、今は東京の本社のスマートライフビジネス本部に勤務する。
「クレカとか金融関係の仕事をしています」
家族は夫人と2子。在京は10年になる。
俊治は近鉄で7年間、現役を続けた。前田隆介(元監督)の向こうを張って、公式戦出場も果たした。退社後は大阪で生命保険の営業をしている。家族は夫人と3子だ。
2人とも不惑を1つ超えた。
「学生時代、あれだけ頑張ったことが自分の人生の拠り所になっています」
そう話す俊治はOB会の会計担当として、大西に会う機会もある。平田は東京にチームが遠征してくれば顔を出すようにしている。
2人とも自分のルーツは忘れない。
「ただし、もうあの練習をやりたくありません。何億円積まれてもいやです」
「えーえー、何億もくれるんやでー」
この掛け合いはこれからもずっと続いて行く。