教えるのはラグビーだけじゃない。73歳上野先生、初めての全国大会
大阪府貝塚市出身の上野先生は、今宮工業高(現・今宮工科高)でラグビーを始めた。工業からの進学が少なかった時代に、関東学院大へ。同大学が選手権初制覇を果たして黄金期を迎えるより30年以上も前だ。
建築を学び大阪でゼネコンに勤めたが、妻の故郷で仕事をしたのがきっかけで、33歳の時に大分に移り住んだ。会社を立ち上げ、今も現役の1級建築士としてマンションや官公庁などの設計を手掛ける。
大分RSとの縁は、現在コーチを務める長男の隆信さんが入校した35年以上前から。今や中学生と小学生の孫2人もスクール生だ。休日だけのボランティアでも、人生の一部として情熱を注いできた。
還暦を機に10年以上も離れたが、2年前に再び指導現場へ。御沓稔弘校長らが「伝統を知っていて、子ども達をやる気にさせ、若いコーチにもいろんなことを伝える人がいてくれたら」と復帰を打診した。
ワールドカップ招致と開催の熱気冷めやらぬ中で生徒も増えてきた。保護者との距離感の難しさ、OBとの交流の薄さが浮き彫りになっていた時だ。
上野先生は「厳しいのがダメのような時代だけど、こういうのが一人いてもいいかな。大分RSのためになるなら」と快諾した。
「教えるのはラグビーだけじゃない。してはいけないことやルールもある。そういうのは誰かがやかましく言わないと。集団生活から学んで子ども達が育つ。仲間のためにとか、くじけない気持ち。大分RSのスピリットを持っていて欲しい」
わざと大声で準備や片付けなどについて厳しく言い、親御さんにも気付かせるのもしばしば。「家でどんな生活をしているかはすぐに分かる」と、にやり。
「向いていないから辞めさせたい」と告げてきた保護者の相談に乗り、思い止まらせて感謝されたこともある。
「親が子どもを見切ってはいけない」
若い親にもそう諭して、たくさんの子どもと接してきた実体験を伝える。
これからも「体が動かなくなるまでは」グラウンドに立つつもりだ。もうじき60年になるラグビー人生で自身初めての全国大会を終えて、上野先生はどう感じたのか。
「届く範囲だと思うよ。全国のチームが相手でもやれる。狭い大分だけでは分からなかった。これからみんなが全国を経験できたらいいなあ」
自分の感慨より、やっぱり子ども達や後進のことを思っている。