【大野均からのメッセージ/その4(完)】 楽しむということ。
中3日を強いられたスコットランド戦は疲労が濃く、後半に突き放されて10-45で敗れた。この試合を欠場した大野は、続くサモア戦に先発した。
「南アフリカに勝って、日本でもラグビー人気が高まっているという話はチームに伝わってきていた。でも、スコットランドに大差で負け、サモアにも負けるようだと、また元に戻ってしまうという危機感があった。南アフリカ戦よりもサモア戦の方が、僕は緊張しました。日本ラグビーの命運を左右する一戦だと本気で考えていた」
南アフリカに勝ち、疲れも抜けたジャパンは、それまでのジャパンではなかった。実力と経験の差、4年に1度の重圧から何度も練習したはずのプレーが練習通りにできなかったW杯で、彼らは淡々と優位に試合を運び、20-0で折り返す。ハーフタイムを迎える間際、2分以上にわたってボールをつないでWTB山田章仁がトライを奪った一連のプレー。大野は右足を引きずりながら密集の脇を突進し、サポートに走っていた。
「右太ももの裏側にピリッと来たんです。肉離れ。やった瞬間、ああ、これで自分のW杯は終わったなってわかった。でも、笛が鳴るまで交代はできない。それなら、どんなに肉離れが悪化してもいいから笛が鳴るまで走り続けてやろうと。最後、ブレークダウンに頭から突っ込んで、顔を上げたら山田がトライを決めていた」
交代は自ら申し出た。「使い物にならないのは、わかっていたから」
大野にとって、W杯のラストプレーになった。
大野がいなくなったジャパンはサモア戦を26-5でまとめ、アメリカとの最終戦も28-18で制した。過去、1勝。24年間、W杯で勝てずにいたチームが、3勝を挙げてイングランドを去った。
「ジャパンにとって、最高のW杯だった」と大野。すぐ、こうつけ加えた。「それまでのジャパンにとって、ですね」
大会が終わる。大野は「不思議な感覚」に包まれた。「準備した戦術が全て的中して、危なげなく勝てた。W杯という舞台で、こんなにも普通に勝ててしまうなんて」という感覚だ。
ある種の満足感。ただ、それは「勝てなかった過去の大会を経験してきた僕のような選手しか、抱かない感覚なのでしょうね」とも。
3勝してなお決勝トーナメントに進めなかった現実に、W杯初出場のFB五郎丸歩は涙した。「W杯で勝つのが当たり前、グループリーグを突破できなかったことが悔しいと感じる選手がいた。僕とは違った気持ちで、あのW杯を終えた。それで、いいのだと思う」
イングランド大会が初めてのW杯だった選手にとっては、あの大会が出発点になる。あの悔しさが、出発点になる。大野より上の世代にとって、W杯は、勝ちたい舞台だった。今後のジャパンを背負う世代にとって、W杯は、勝つための舞台になる。
そんな歴史の積み重ねを改めて体感したのは2016年、スコットランドとのテストマッチ2連戦だった。13-26、16-21。大野とともにピッチに立ったSH茂野海人、FB松田力也ら若手は、この惜敗がスタートだ。
「接戦からのスタートなら、すごく高いスタンダードにたどり着けるはず。僕の始まりなんて、スコットランドに100点を許した(2004年の)一戦ですよ」
ハハハ。また、大野は照れるように笑うのだった。
W杯日本大会に臨む後輩たちへ。大野が贈る言葉。
「先輩たちの頑張りがあったから、いまがある、なんてことは言いたくなくて。いま、自国開催のW杯に出られる立場にいることを、心から楽しんでくれたら。周りから批判されたり、いろいろなプレッシャーもあるけれど、それも含めて楽しんでほしい。W杯に出なければ、批判すらされないわけだし」
大野自身、勝てなかった2度のW杯も含めて「幸せな時間を過ごした」という。「悔しい負けもあった。大会中は気も張っている。でも、終わってみれば、ああ、いい場所にいたんだなって必ず思える。非日常的な空間の最たるものが、W杯」
仲間のため、思いっきり相手にぶつかる。仲間のため、人垣に頭を突っ込む。楕円球と出会った時に感じた非日常の充実と責任がたまらなくて、大野はラグビーの虜になった。その究極がW杯なのだと。
「自国開催のW杯。究極の非日常を、思いっきり楽しんでほしい。祭りの主役は、選手なのだから」
日本ラグビーの節目を託された者たちへ。
大野からのエール。