その他 2019.09.09

ガッキー、故郷に帰る。新潟工の天然芝グラウンド開きに出席。

[ 森本優子 ]
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ガッキー、故郷に帰る。新潟工の天然芝グラウンド開きに出席。
式典で挨拶する稲垣啓太。背後に緑の芝が広がる(撮影:森本優子)

 雲一つない青空、気温34度という季節外れの暑さは、作業に携わった全ての人たちの熱量を反映していた。
 9月8日、新潟市西区にある新潟工業高校で、ラグビー部の天然芝のグラウンド開きと、同校OBである日本代表・稲垣啓太選手のラグビーワールドカップ壮行会が開かれた。
 花園出場43回を誇る新潟工のグラウンドを天然芝にする話が持ち上がったのは今春。新入部員が7人(現在は10人)と少なく、このままでは部員不足を招きかねないと、樋口猛監督が決断した。稲垣に協力を依頼したところ、快諾。芝の苗や芝刈り機など、300万円を寄付した。

 まず5月に稲垣も出席して、部員や保護者、OBたちで芝をほぐして農業用のポッドに植えた。さらに6月にも同じ作業を実施、7月7日、計4万5千ポッドをグラウンドに同じ数の穴を開け、部員や保護者、OB、150名が9時間かけて植え替えた。
 芝は最初の2週間で根付かないと枯れてしまう。今年の新潟は雨が少なく、選手やスタッフで朝晩の水やりを欠かさなかった。8月の菅平合宿の間も、残ったスタッフが水やりを続けた。努力の甲斐あって、公式戦をできる広さのグラウンドが、一面の緑に生まれ変わった。

 式典で挨拶に立った樋口監督は、何度も言葉を詰まらせた。
「とにかく彼を緑のグラウンドから送り出したかった。皆の力も借りて、なおのこと枯らすわけにはいけなかった」

日本代表PRの稲垣。母校・新潟工業高校のラグビーグラウンド入り口に立てられた看板と(撮影:森本優子)

 締めにマイクを握った稲垣は、「僕はお金でしか協力していない。本当に大変な作業をやってくれたのは周りの人たち」と感謝を述べた。
「このグラウンドは僕の原点」と稲垣。現役当時は土のグラウンドだったが、関東学院大に進学して、天然芝グラウンドの素晴らしさを実感した。
「何よりケガのリスクが減る。親御さんがジャージーを洗う負担も減ると思います」

 早速、この日は新潟市ジュニア、新津、ニシカンジュニアのラグビースクール対抗戦に始まり、中学校スクール選抜×新発田市中学校、新潟工現役×OBの北斗クラブなどの試合がおこなわれ、さまざまな世代が生まれたての芝に触れた。
 グラウンドの周囲では保護者やOB会が豚汁やかき氷のサービス、ヨーヨー釣りやラグビー体験コーナーも設置されるなど、「新工」あげてのイベントとなった。

「ここから第2、第3の稲垣が生まれてくれたら」(樋口監督)

 将来は「稲垣杯」と名を冠した大会もできたら、との恩師の言葉に「(大会の)名前は必要ないですが、ここが新潟県のラグビーの中心になってくれれば」と教え子。
 本人は試合が終わるごとにグラウンドに出向いて、各チームと記念撮影。それ以外の時間はテントで参加者とのサインや写真撮影に応じ続け、息をつく間もない忙しさ。会の最後は参加者全員で花道を作って、稲垣を送り出した。

 樋口監督は、ワールドカップは開幕のロシア戦など3試合を観戦する。
「彼はトップレベルの力を持っている。チームの中心として、リーチ主将をサポートする存在になってほしい」と期待を込める。
 稲垣は2日前に南ア戦を終えたばかり。わずかなオフをぬっての帰省だったが、故郷との結びつきが強く伝わってきた時間だった。

スクールの子どもたちにやさしく接する稲垣。
「高校時代は愛嬌があってニコニコしてました」と新潟工の樋口監督(撮影:森本優子)

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