コラム 2019.08.01
【ラグリパWest】15歳のスタート、還暦のスタート。 兵庫県立西宮南高校

【ラグリパWest】15歳のスタート、還暦のスタート。 兵庫県立西宮南高校

[ 鎮 勝也 ]
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 経験者は報徳学園や関西学院など全国舞台が現実的な強豪私立に集中する。県外に流れる者もいる。この競技自体の中学生への認知不足も否めない。怖さや痛さもついて回る。
 西宮南のような花園出場校でも部員が1人という現状。ワールドカップ開催の恩恵はこの地域の公立には届いていない。

 その中で、富井と山瀬は出会った。

 山瀬はラグビー出身ではない。神戸、京都教育大では野球部にいた。大学卒業の1981年、赴任した県立芦屋で転向する。
「校長に、野球の顧問がいっぱいだから見てやってくれ、と言われました」
 父・清は神戸大のラグビー部だった。楕円球への抵抗はなかった。

「はまりました。こんなスポーツはない。合法的に体をぶつけられる。なのに戦いのあとはお互いに讃え合うのもよかった」
 西宮南が全国出場を決めた67回大会県予選で山瀬率いる県立芦屋は難敵になる。

 8強戦で報徳学園に18−18の抽選勝ち。4強戦で6−10と4点差で競り負けた。西宮南は決勝で星陵を23−0と圧倒する。
「この学校に来て、めぐり合わせを感じます」

 当時、県立芦屋のフルバックは2年生の曽我部匡史。立命館大からトヨタ自動車に進み、ロペティ・オト、仙波優(故人)ら日本代表選手たちとバックスリーを形成する。1990年代の濃緑ジャージーの中心を担った。

 山瀬の教員生活は県立芦屋で11年、県立西宮で18年、神戸で9年だった。
 昨年12月、埼玉・熊谷まで筑波大の応援に行く。帝京大戦で2人の教え子、プロップの西川優斗、フランカーの弘津陽介が交替出場した。10−66と試合には負けてしまったものの、よろこびは大きかった。
「幸せでした」
 弘津の父・英司は神戸製鋼などでフッカーとして活躍。日本代表キャップ1を持つ。


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