コラム 2019.05.30

【ラグリパWest】純白ジャージーのための二世代。 松隈孝行・孝照(奈良・天理高校)

[ 鎮 勝也 ]
【ラグリパWest】純白ジャージーのための二世代。 松隈孝行・孝照(奈良・天理高校)
天理高監督として自身初の全国優勝で部員たちから胴上げされる松隈孝行さん。大会は第46回(1967年)。現監督の孝照さんの父である。



 父・孝行の偉大さは伝え聞いた。
 昭和初期の男は武勇伝を語らない。
 松隈孝照は回想する。
「しゃべらんのが普通でした」

 寡黙な父は、創部94年を誇る天理高校ラグビー部で伝説のOB指導者でもある。
 コーチ4年、監督7年の11年で全国大会の優勝と準優勝を3度ずつ成し遂げる。優勝は42、46、51回大会。準優勝は44、45、50回大会。ともに1回目はコーチだった。

 天理のこれまでの冬の全国優勝は歴代4位の6。準優勝は7。その約半分に父は携わったことになる。不言実行だった。

 在任期間は1962年4月から1973年3月。元号では昭和37年から48年だ。
 退任時、孝照は生まれてわずか11か月。その勇姿は記憶にない。
 今、同じチームの監督を任されている。

 田仲功一は当時、コーチとして補佐をする。
「秋田工、保善という2強の間に、天理が割って入りました。そんな時代です」
 父にとって最初の頂点は42回大会(1963年)。それまでの7大会、その後の2大会を制したのは秋田工と東京の保善。回数は5と4。純白ジャージーは三つ巴の形を作った。

 父は2004年11月14日に亡くなった。65歳。孝照は遺品の中からメモを見つける。
<指導者は選手を見続ける。一挙手一投足を見逃さない。そこから第六感が生まれる>
 勝負に不可欠な、いわゆる「ひらめき」は、ひとつのことを突き詰めた末に自分に降りて来る。そのことが綴られていた。

 父はスタンドオフなどをこなし、天理から法大に進んだ。監督就任の1966年、ラグビー部専用の勾田(まがた)寮ができる。
 父は部員たちの世話を焼くため、妻・照子と住み込む。田中は振り返る。
「四六時中、生徒と一緒で、日々身を削る思いだったはずです」

 常に日本一を目指す厳しい練習に、寮から逃げ出す部員もいた。
「夜中に2人で曽根崎まで車を飛ばしたこともありました」
 西行きの下り列車に乗るため、大阪駅に出る。そこで警察官に保護される。監督とコーチは所轄の署まで身受けに行った。

 寝食までも共にする日々の中で、部員を「見続ける」という悟りが生まれる。
 今、孝照は父と同じように家族4人で寮に住み込む。
「お風呂の上に部屋があるのですが、入浴の時はうるさい。でも楽しく寮生活を送ってくれているのならいいか、って思っています」
 耳で聞くことも、目で見ること同様、父のコーチング原理には沿う。

現在チームの指揮を執る松隈孝照監督


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