コラム 2019.04.16
【ラグリパWest】6人からの再スタート 常翔啓光学園

【ラグリパWest】6人からの再スタート 常翔啓光学園

[ 鎮 勝也 ]
【キーワード】



 現校名になったのは11年前だった。2008年4月である。
 学校経営の行き詰まりから、大阪工業大や摂南大などを持つ常翔学園グループに吸収される。男子の中高一貫校には進学校化する方針が示され、共学に変わった。

 ラグビーによる推薦入学、スポーツクラスはなくなった。当時の練習開始は午後2時。今は5時になる。授業は7時間。放課後の活動は1時間30分のみだ。
 チームも学校もまったくの別物になった。

 新しくなった学校のシンボルは西側にそびえる「クライミング・ウォール」だ。ワンダーフォーゲル部が岩登りの練習で使用する。
「15メートルあります。国内でこの高さは少ない、と聞いています」

 学校の援助はないわけではない。則竹浩司と岩井一馬の2人の教員コーチは残る。
 則竹は体育担当。大阪桐蔭から大阪体育大へ進んだプロップだ。岩井は大阪教育大でウイングなどをこなした。この4月、理科の新卒教員として着任する。

 川村は監督就任7年目に入る。今は中学の社会と技術を教えている。
 この中高から関東学院大に進学。マネージャーとして4年時の40回大学選手権(2003年度)を含め学生王者を3度経験する。
 父は高校日本代表監督、大阪府の教育行政トップである教育監をつとめた幸治だ。

 川村の生まれた1981年度は高校ラグビーの監督として名を成している者が多い。
 大学の同級生、霜村誠一は昨年度の98回大会で桐生第一を花園に初出場させた。
「ライバル意識はすごくあります。霜村にしても、湯浅、梶村、ゴンちゃんにしても」
 湯浅大智は東海大大阪仰星、梶村真也は関西大学北陽、「ゴン」こと権晶秀(くぉん・じょんす)は大阪朝高をそれぞれ率いる。

「でも、彼らを見て、余計に意地を張っている自分がいることを知りました」
 合同チームでは、伝統という重圧から解き放たれ、笑顔でパスをつなぐ部員たちを見た。
「負けたら悔しいです。けど、楽しそう」

 木田匡哉は昨夏の終わりに入部した。
 中学まではサッカー、高校ではバレーボールを選ぶ。
「コートの広さに物足りなさを感じました」
 佐藤侃太(かんた)がずっと誘ってくれていたラグビー部の門をたたく。

「昔、強かったというのも聞いていたし、ついていけるかな、と思いました」
 手探りの状態の日々だったが、大量退部の時も同調しなかった。
「自由に走れることが面白かったし、もうクラブをやめたくはありませんでした」

 木田はサッカー経験者ながら、蹴りが下手だった。スタンドオフ出身の川村は教える。
「チャーシュー麺で蹴ってみ。チャー、シュー、メーンの時に足を出す」
 こつをつかむ。40メートルは蹴り込めるようになった。今ではフルバックの位置に入り、エリアを獲れるひとりになる。

 夢は消防士になること。そのためもあってラグビーを選んだ。
「体を強くしたいんです。家ではごはんをお茶碗4杯から5杯食べるようにしました」

常翔啓光の伝統的アタックある「リップ・ガット」を教え込む川村圭希監督


PICK UP