コラム 2019.02.25
【ラグリパWest】髙橋家のしあわせ。

【ラグリパWest】髙橋家のしあわせ。

[ 鎮 勝也 ]
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 高校は両親が過ごした京都ではなく、大阪に決めた。父は母校を勧めた。
「おじいちゃんの家から通うか、ってそれとなく聞いてんけど、常翔学園になりました」
 汰地は振り返る。
「強いチームが多いところでラグビーをするのはかっこいいと思いました」
 高1の第92回全国大会(2012年度)は、メンバー外ながら全国制覇を経験する。ただし、残りの2年は府予選決勝で敗れた。

 明治を選んだのも理由がある。
「誘って下さったし、チームの雰囲気なんかもよかったです」
 進学は父の希望でもあった。
「自分は大学に行きませんでした。だから息子には行ってほしかった。出てからの人のつながりが全然違います。神戸にいてそれを目の当たりにしました」
 若き日に作り上げた人脈は、ラグビーのみならず、その後の仕事や人生にも影響する。父は世間に出てそのことを実感する。

 この国有数の才能が集う大学で、汰地は3年から先発に名を連ねる。
 50メートル走6秒1の速さは血を継いだ。父は中学時代、陸上部だった。100メートル走で11秒3の京都府記録を持っていた。
 その快足に、息子には180センチ、93キロのサイズを利した強さが加わる。
 兼ね合わせの妙。アイランダーを父祖に持つ選手の決定力とそん色はない。

 最終学年はストレッチに力を入れた。
「自分は元々両ひざがよくないので、太ももなどの筋肉を伸ばすことを教えてもらいました。毎日やっていたら、ヒザの調子はいいし、スピードも上がりました」
 さらなる進化を自覚した上で、もぎ取った優勝だった。

 卒業後はトヨタ自動車に入社する。
「ラグビーの強いところに行きたかったし、やめた後も仕事をしたかったのです」
 父と同じ深紅のジャージーを着る選択肢もあった。
「コネを使った、と思われるのが嫌でした」
 会社も自分自身で決めた。

 トヨタ自動車の新人集合日は3月2日。チームへの合流は4日だ。東京・八幡山から愛知・豊田に移った生活が始まる。
「大学で外に出した時から、こっちに戻ってこない覚悟はしていましたから」
 母は強い。

 父はポロっと本音を口にする。
「保険証の扶養家族の欄から、タイチの名前が抜けてしまうのはさびしいなあ」
 和花は末っ子らしく明るい。
「ケンタ君も行くし。タイチのおかげでいろんな選手と仲良くさせてもらいました」
 ひいきの福田と兄が引き続き一緒にプレーするのを楽しみにしている。

「これからも応援に来てもらえるよう、自分自身が頑張らないといけません」
 汰地は口元を引き締める。
 家族の期待を背に、新しい環境でラグビー、そして仕事に取り組んでいく。
 難しさや厳しさを越えた先に待っているのは、髙橋家のさらなるしあわせである。

(文:鎮 勝也)

大学選手権決勝でトライラインを目指して走る髙橋汰地。(撮影/松本かおり)

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