コラム
2018.11.29
がんに打ち克ち、ラグビーに戻る。 田中伸弥/近畿大フランカー
大阪桐蔭、そして近畿大ラグビー部の同期・喜連航平(現NTTコミュニケーションズ)と
大学の後輩たちの試合応援をする田中伸弥(左)
21歳でがんを宣告された。
田中伸弥はくじけなかった。
ラグビーで培った肉体と精神で、半年以上の抗がん剤治療と2度の手術に耐える。
そして、みんなのところに戻って来た。
「これからは病気を抱えている人たちに、少しでも元気を届けられるようなプレーをしていきたいです」
攻守に激しく体をぶつけ、近畿大のみならず、関西学生の象徴でもあったフランカーは表情を崩した。
愛称「シンヤ」が、体の異変を感じたのは昨年10月だった。
「しんどくて、足がよくつりました。呼吸もしにくくて、咳が出ました」
11月25日、関西リーグ最終戦、京都産業大戦(27−31)に80分間フル出場する。
リーグ全7試合に4年生として先発出場を果たした後、医師の診察を受ける。
診断は「縦隔(じゅうかく)がん」。
左右の肺の間にある胸腺に、悪性の腫瘍ができていた。すでに肺にも転移していた。
「生存率は50パーセントと聞きました」
すぐに、喜連航平に電話する。
「本人の口から、がんを聞きました。もうショックで。その後のミーティングはミーティングになりませんでした」
大阪桐蔭からともに7年を過ごした主将はかってないほど動揺する。
田中は大阪城の西側にある大阪国際がんセンターに緊急入院した。
「もう一回、ラグビーがしたい。生きたい、と思いました」
スマホの待ち受け画面はクリスチャン・リアリーファノにする。オーストラリア代表キャップ19を持つスタンドオフは、「血液のがん」のひとつ白血病を克服していた。31歳の今は豊田自動織機でプレーしている。
直接の励ましも受ける。
近鉄は部員たちのサインが入った公式戦ジャージーを贈った。今季トップリーグ再昇格を目指すチームには、二人兄弟の兄・健太がプロップとして加わっている。
NTTコミュニケーションズの主将である金正奎には外出日に会ってもらった。
「同じポジションだし、少しでも近づきたい人です。優しい人間性も好きです」
チームやサンウルブズのサイン入りジャージーを手渡された。憧れの選手との間に入ってくれたのは、今年4月、金とチームメイトになった喜連だった。
ただ、日中は強い気持ちでも、夜の黒い闇の中では萎えそうになる。
「変なことを考えそうになるとYouTubeなんかの楽しい動画で、気を紛らわせました。中川家の漫才をよく見ました」
剛と礼二の兄弟はラグビー経験者。大阪・守口の梶中学校などで楕円球に触れている。
田中は類まれな運の強さを持っていた。
総監督の中島茂は振り返る。
「奇跡が重なっています」
縦隔がんは「10万人にひとり」と言われる希少さだが、治療法はあった。
「化学療法が効くようです。それでがんを小さくして手術で取り除くんですね」
ラグビー部、そして7人制日本代表のチームドクターでもある田中誠人(大阪警察病院勤務)は説明した。
相当な疲労感が残る抗がん剤治療から、7月には手術に移行する。10月には2回目があった。いずれも成功だった。
中島は続ける。
「専門病院のベッドがひとつだけ空いていたり、投薬や手術がうまくいったり、筋肉や体重が体質的にあまり落ちなかったこと、これらはすべて奇跡ですよね」
174センチ、94キロのサイズはしぼんだ感じはない。田中は笑う。
「僕は生まれてすぐに急性肺炎になり、死にかけました。これで2回目です」
リハビリでは体に負担がかかるのを知りながら、あえてアームカールなどをやる。アンクルリスト(足に巻く砂のおもり)を鉄棒に巻き、即席のウエイト器具を作った。
「本当は筋トレはダメなんです。でも、先生たちは黙ってやらせてくれました」
周囲にも田中の復活にかける意気込みが伝わる。喜連は田中の闘病に感動する。
「ずっと気丈にふるまっていました。強い。人としてすごく強いと思います」
退院した現在は週5日のペースで大学に顔を出し、30分程度のウエイトトレをこなす。「来年2月くらいから、グラウンドでの練習に参加するつもりにしています」
抗がん剤の副作用で抜け落ちた黒髪も生えそろって来ている。
最近はピザ配達のアルバイトも始めた。
「そのお金を貯めています。家族のお蔭で治療に専念できましたから」
身内への経済的な恩返しを考えて、自分でできる範囲で動いている。
田中は咋秋、社会人チームとプロ選手として契約寸前だった。発がんでその話は中断される。ただ、チームは田中がプレーできる体に戻れば、契約する意思を示している。大学(経営学部)は3月に卒業済みだ。
大阪桐蔭の同期からは今春、喜連を含め6人がトップリーガーになった。
トヨタ自動車には垣本竜哉、吉田杏、岡田優輝の3人、豊田自動織機には渡邊彪亮、中村大志の2人が加わった。
この代は高3時の第93回全国大会(2013年度)で母校を初めて4強に進出させている。
喜連は田中へ視線を向ける。
「一日も早く復帰して、あのプレースタイルでみんなを勇気づけてほしいですね」
グラウンドへの帰還。強烈なコンタクトの再生。その先に待っているのは、同級生たちが躍動する日本最高峰のステージだ。
田中のミッション達成は、すなわち多くの人々にとって人生の支えにもなりうる。
(文:鎮 勝也)